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シェイクスピアの歴史劇:王権をめぐる闘争


シェイクスピア劇として今日に伝わる38篇の作品のうち、歴史劇 History として分類されるものが10篇ある。シェイクスピアはそれらの作品のすべてを創作活動の前半ともいえる、16世紀末の10年間に書いている。処女作の「ヘンリー六世第一部」を書いたのが1589年であり、一連の歴史劇を締めくくる作品「ヘンリー五世」を書いたのは1599年のことである。

これら十篇のうち八篇は、リチャード二世からヘンリー六世までの時代、つまり14世紀末から15世紀末までの約百年をカバーしている。この百年の間に、イギリスの王権は、リチャード二世、ヘンリー四世、ヘンリー五世、ヘンリー六世、エドワード四世、リチャード三世と受け継がれ、リチャード三世の後は、エリザベス女王の祖父ヘンリー七世に引き継がれた。

この百年間は、イギリスの王権基盤が不安定な時代だった。内部にはヨーク派とランカスター派の対立を抱え、それがバラ戦争という形で内戦にまで発展する。また対外的には、プランタジネット王朝のフランス内の領地をめぐり、フランスとの抗争が絶えなかった。英仏間の百年戦争は、フランス側から見ればイギリスのプランタジネット家からの独立を求めた戦いであり、イギリス側から見れば、フランス内に有する正統な権利を確保する戦いだった。

この百年間を舞台にしたシェイクスピアの八篇の歴史劇は、いづれも歴代の王の名を題名に冠している。だがシェイクスピアは、時代の流れに沿って順次それらを書いたわけではなかった。

先述したように、一連の作品の最初に書かれたものは「ヘンリー六世」の三部作である。ヘンリー六世の時代は、英仏戦争がもっとも高揚した時期であり、フランス側にはジャンヌ・ダルクのような英雄が現れている。一方イギリス国内ではバラ戦争が勃発し、内戦にまみれた時代であった。シェイクスピアはその時代を、壮大なスペクトルのもとに描き出そうとした。

ヘンリー六世はランカスター家の出であるが、バラ戦争に敗れてヨーク家側に王権を譲る。シェイクスピアはその新しい王権の担い手たちを、「リチャード三世」の中で描いた。

バラ戦争を制して王権に返り咲いたヨーク派は一枚岩ではなく、エドワード四世の弟リチャードが、ひそかに王権を狙っている。リチャードは兄のエドワード四世を殺し、その子供たちを殺し、また後継争いのライバルとなりうる次兄のクラレンスをはじめ敵となるものを次々と殺した後、かつて自分に味方したものまで殺しつくして、ついに王座につく。しかし王となったとたんに、今度は自分を倒そうとするものたちから自分の身を守るのに汲々とするようになる。そしてついには、新たな敵リッチモンドによって王位を追われる。シェイクスピアはこうした出来事の連鎖を壮大なドラマトロジーに基づいて描き出した。

リチャード三世はプランタジネット朝の最後の王である。彼を倒したリッチモンドは、ヘンリー七世として、あたらにチューダー朝を開く。この王朝の交代劇を描いた後、シェイクスピアは時代を遡らせて、リチャード二世を取り上げる。

リチャード二世はヨーク派の国王であり、自分自身すさまじい権力闘争の末に王位に上った人物である。しかしリチャード三世と同じく、晩年は自分を倒そうとするランカスター家の勢力と戦わねばならなかった。シェイクスピアは「リチャード二世」の中で、王権から転落していくものの立場に焦点を当てて、生々しい闘争劇を描き出した。

そして次には、リチャード二世を倒した「ヘンリー四世」についての二部作を書き、ついで「ヘンリー五世」を書くことによって、百年間の出来事の流れを隙間なく埋めたのであった。

以上八篇の王権劇は、ドラマとしてはそれぞれ完結しているが、歴史的な出来事の流れとしては連続してもいる。だから今日の読者は、執筆の順序を無視して、時間の順序に従って読み直すこともできる。むしろそうしたほうが、シェイクスピアの王権劇が持つ、独自の世界観に触れることができる。

この一連の作品群を通読すると、読者は、シェイクスピアが何を表現したかったか、その意図を探らずにはいられないだろう。どの作品にも、主人公たちの王権に対するすさまじい執念が溢れかえっている。その執念はむき出しの暴力を伴って、人間同士の果てしのない闘争へと発展していく。シェイクスピアの王権劇は、暴力をテーマにしているといってもよいほどなのだ。

世界のどの国の歴史をみても、こんなにも長い期間にわたって、こんなにも血塗られた王権を戴いた国はほとんど見当たらない。日本ではかつて古代の王朝で、王権をめぐるすさまじい闘争があった時代もあるが、それが百年以上にもわたり、常態化していたことはなかった。王権が血でまかなわれるような状態は異常なのであり、長続きすることは本来ありあない。ところがシェイクスピアが描くイギリスの王権の歴史は、常に血によって基礎付けられていたといってもよいほど、暴力を内在させていたのである。

シェイクスピアの活動の前半期はエリザベス女王の時代である。その女王自体が、暴力の権化だったことは歴史の教えるとおりだ。彼女は在位中に、自分の敵は無論、味方や愛人を含めて1500人もの人間を殺している。そんな時代背景の中で、歴史劇とはいえ、王権を暴力と併在させて描くことは、でエリザベス女王への隠喩ともみなされかねなかった。

にもかかわらずシェイクスピアは、イギリスの王権の歴史を暴力の歴史として描き上げた。

このことが大目に見られた背景には、エリザベス女王のチューダー朝がプランタジネットのアンチテーゼとして生まれたという事情もあっただろう。チューダー朝はプランタジネットの暴虐を正すという大義名分によって生まれたものだ。プランタジネットはその悪逆ぶりでイギリス人民を苦しみ続けた。そんな悪逆振りをあぶりだして描きあげることは、それが時代批判になっていない限りにおいて、許されたものと思われる。

だが王権の持つ暴力性は、何もプランタジネットに限られるわけではない、それは王権というものの持つ普遍的な属性なのだ、シェイクスピアの王権劇を読むと、誰もがそう思うように仕向けさせられる。



リチャード三世 RichardV
リチャード二世 RichardU 
ジョン王 King John
ヘンリー四世第一部 HenryW Part1
ヘンリー四世第二部 HenryW Part2
ヘンリー五世 HenryX

ヤン・コットのシェイクスピア論




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