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ジョン王 King John:シェイクスピアの歴史劇 |
シェイクしピアノ歴史劇「ジョン王 King John」 は、リチャード二世からヘンリー六世に至る時代をカバーする一連の王権劇とは、やや離れた位置を占めている。時代が離れているということ以外に、劇の雰囲気そのものも、独自のものがある。一連の王権劇が血なまぐさい権力闘争を赤裸々に描いているのに対し、この劇は歴史上の出来事を淡々と描いているようなところがある。 こんなわけでこの劇は、20世紀中はあまり高く評価されなかった。しかし改めて読んでみると、我々はそこに別の意味の新しさを感じる。 シェイクスピアがここで描いているのは、ほかの王権劇とは違って、ジョンの王としての野心であるより、この時代の流れなのであるが、それはイギリスとフランスとが覇権を巡って争っていた時代だった。ノーマンコンクェスト以降、イギリスの王室はフランス国内にも領地をもち、フランスの王室と複雑な関係にあったため、両者は常に緊張関係にあった。シェイクスピアはここで、その緊張関係そのものを描いているのだ。 他の王権劇では、権力を巡って生身の人間同士がぶつかり合うのに対して、この劇では抽象的なものとしての国家同士のぶつかりあいが、表面に現れる。ジョンは無論生身の人間としても、さまざまな行為をするが、それは国の主権を体現したものとしての行為なのだ。 ここのところをどう見るかで、この劇の評価が変わってくる。20世紀の批評家たちは、ハムレットをはじめとして、シェイクスピアの劇の中に人間臭さを求めたために、この劇を形式主義的だと批判した。だがその形式主義的な面が、この劇に他の劇にはみられない独自の色彩を与えている。筆者などはそこのところが、新しく感ぜられる。 この劇はまた、王権の正統性をもテーマにしている。そこのところは他の王権劇と共通している。ジョンは先王リチャード一世の弟だが、他の親族を差し置いて自分が王になった。それに対してフランスが、ジョンの兄ジェフリーの子であるアーサーを正統な後継者だとして異議を称える。異議を称えるのが国内の敵ではなく、外国であるフランスだということが、他の劇と違うところだ。 ジョンはフランスとの関係において、フランス内に持っている領地を確保する戦いを強いられると同時に、自分の王としての正統性も確保しなければならない。この二重の正統性の問題が、この劇を進行させていく推進力になっている。 他の王権劇では、王位を狙うもの、また王位を確保しようとするものは、自分の身近にいる人間を始末するのにあけくれるのだが、この劇でジョンが始末しようとするのはフランスという国だ。邪魔なやつは国外にいるわけである。ジョンが唯一身近なものを殺そうとする場面は、アーサーをめぐるものだが、この場合でもアーサーは身近なライバルというより、フランスを体現したものとして現れている。 この劇の見せ場のひとつであるアンジェーを巡る攻防では、イギリス軍とフランス軍はともにアンジェー市民によって手玉にとられる。アンジェーの市民は、互いにアンジェーの主権を主張する両者に対して、自分たちの真の支配者は、強いものの方だというのである。 市民の一人はいう。我々はイギリス王の臣下だと。We are the King of England's subjects. 市民がいうイギリス王という言葉を、自分流にうけとったジョンは次のようにいう。 ジョン;ではそのイギリス王であるわしを城の中に入れよ 市民;それはなりません、イギリス王であると自ら証明したものに 我々は臣下として服従するのです それまでは 誰に対しても門を開けるわけにはいきません King John; Acknowledge then the King, and let me in. Citizen; That can we not; but he that proves the King, To him will we prove royal; till that time Have we rammed up our gates against the world. ここでは、誰が支配者かを決めるのは、支配者自身ではなく、むしろ支配されるもののほうだという逆説が述べられているのだ。 そこで両者は自分こそが真の支配者であることを証明するために戦いあうが、なかなか決着がつかない。そこをアンジェーの市民に見透かされて、さんざんな思いをする。 こういった具合に、シェイクスピアは歴史上の出来事を非常に辛らつに描いている。そこがまたこの劇に独特の魅力をもたらしているのである。 機を見るに敏(ファルコンブリッジ) 狂った世界 Mad world! mad kings! さあ イングランドへ Away for England 人間の輪郭にすぎない I am a scribbled form |
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