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To Be or Not To Be:シェイクスピアの悲劇「ハムレット」の有名な独白


ハムレットの四大独白の中で最も有名なのは第三幕第一場でなされるものだ。To be, or not to be で始まるこの独白は、この世の矛盾と向き合いながら、そこに縺れ合っている糸を解きほぐすことができずに、堂々巡りをする、ハムレットという青年の矛盾に満ちた性格を際立たせていると考えられてきた。

いったい事実の底に潜む真実が明らかとなり、それに向かってなすべき方向がわかっているにもかかわらず、何もなさないでいるのは、不可解なことだ。人間というものは、なすべきことは、なすべきときには、なすように作られているものなのだ。

だがハムレットは何もしない。そしてその何もしないことの言い訳を自分の心の中で、しかも自分に向かっていつまでも繰り返す。ハムレットの独白は大体、方向の定まらぬ堂々巡りの思考であることが多いのだ。

こんな人物に面と向かって語りかけられたら、誰もがびっくりして尻込みするに違いない。この男はクロをクロと、白を白と弁別する能力を備えているにかかわらず、クロがクロではなく、白が白ではない可能性もあるかもしれないなどと、いつまでもたわごとめいたことを、問い続けている。いったい何者なのか、気が狂っているのかと。

ところでこの To be or not to be という有名なせりふは、日本語では「生きるべきか死ぬべきか」と訳されることが多かった。冒頭部に続いて To die, to sleep, no more という言葉が現れるから、こうした解釈も成り立たないわけではない。

だが前後の文脈を素直にたどれば、To be とは父の復讐を果たすことを意味し、 not to be とはそれをあきらめることをあらわしていることは明らかだ。彼はこの二つの選択肢の間で、迷っているのだ。


  いったいどうしたらよいのか 問題はそこだ
  荒れ狂う運命の矢先を
  心で受けて耐え忍ぶのがよいのか
  それとも敢然と立ち上がり寄せ来る苦難を跳ね除けて
  終わらせるべきなのか? 死ぬことは眠ること
  それ以上ではない 眠ってしまえば
  心の痛みも肉体に付きまとう苦しみも
  終わらせることができる
  これこそ願ってもないことではないか
  死ぬことは眠ることにほかならない
  眠ることは多分夢を見ることだ そこにつまづきがある
  この世のわずらいから開放されたあとで
  死の眠りの中に待っているものはどんな夢か
  それを思うと誰もが躊躇する
  だから苦しい人生をいつまでも長引かせるのだ
  でなければ誰が我慢するものか
  世間から浴びせられる鞭や侮り 圧制や権力者の不正
  愛を引き裂かれる悲痛 裁判の引き伸ばし
  役人どもの横柄さ 立派な人物がつまらぬものからこうむる
  屈辱といったことを誰が我慢するものか
  短剣の一突きでこれらのすべてから開放されるというのに
  こんな重荷を背負い続けて
  汗水たらしながら耐え忍ぶのも
  死後に待っているものが恐ろしいからなのだ
  死後の世界のことは誰にもわからぬ
  そこから戻ったものがいないからだ
  その不安が人間の決断を鈍らせ
  未知の世界よりもいま生きている世界の不正を耐え忍ばせるのだ
  余計な心配が人間を臆病にさせ
  もって生まれた決断力も
  未来への不安を前にして色あせるのだ
  こうして壮大な志も
  正しい道からそらされて
  実現されるということがないのだ (第三幕第一場)
 HAMLET
  To be, or not to be: that is the question:
  Whether 'tis nobler in the mind to suffer
  The slings and arrows of outrageous fortune,
  Or to take arms against a sea of troubles,
  And by opposing end them? To die: to sleep;
  No more; and by a sleep to say we end
  The heart-ache and the thousand natural shocks
  That flesh is heir to, 'tis a consummation
  Devoutly to be wish'd. To die, to sleep;
  To sleep: perchance to dream: ay, there's the rub;
  For in that sleep of death what dreams may come
  When we have shuffled off this mortal coil,
  Must give us pause: there's the respect
  That makes calamity of so long life;
  For who would bear the whips and scorns of time,
  The oppressor's wrong, the proud man's contumely,
  The pangs of despised love, the law's delay,
  The insolence of office and the spurns
  That patient merit of the unworthy takes,
  When he himself might his quietus make
  With a bare bodkin? who would fardels bear,
  To grunt and sweat under a weary life,
  But that the dread of something after death,
  The undiscover'd country from whose bourn
  No traveller returns, puzzles the will
  And makes us rather bear those ills we have
  Than fly to others that we know not of?
  Thus conscience does make cowards of us all;
  And thus the native hue of resolution
  Is sicklied o'er with the pale cast of thought,
  And enterprises of great pith and moment
  With this regard their currents turn awry,
  And lose the name of action.--

この長い独白の中で、人称代名詞である I と me が一つも出てこないのが印象的だ。この部分は自分が自分自身に向かって語りかけているのだから、普通なら自分を表す人称代名詞が頻繁に使われるところだ。それなのにそれを用いていない。ハムレットはあたかも、他人事を語ることを通じてしか、自分を語れないといった、やり方をしている。



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