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中年男女の恋:アントニーとクレオパトラ


「アントニーとクレオパトラ」は壮絶な政治劇であるとともに、中年の男女の悲しい恋物語でもある。それは「ロメオとジュリエット」が展開した若者の情熱的な恋に劣らず、強烈で人間的な恋であった。

この物語が始まったとき、アントニーはすでに43歳、クレオパトラは29歳だった。劇の終りは10年後のことだから、その時のアントニーは53歳、クレオパトラは39歳である。だから二人の愛は、若者の愛のように純粋ではありえない。アントニーには当初、妻がいることになっているし、劇の進行の途中で小シーザーの姉オクタヴィアと結婚したりもする。

クレオパトラの方も、此れが勿論初恋ではない。あのシーザーに愛され、ポンペイウスにも愛された身だ。時にはそのことをアントニーに揶揄され、淫売呼ばわりされることもある。それでも二人は深く愛し合い、互いに対する愛を確信しながら死んでいくのだ。

二人の愛は、運命的な愛として始まった。劇が始まった時には、アントニーはすでにクレオパトラのとりこになっている。そのアントニーの自分に対する愛がどれほどのものか、クレオパトラは確かめたいと思う。

  クレオパトラ:それが愛なら どれくらいの大きさか知りたい
  アントニー:図られるような愛は乞食の愛だ
  クレオパトラ:でもどれくらいの大きさか見極めたいの
  アントニー:この世の寸法では足りずに あの世まで行くことになろう
  CLEOPATRA:If it be love indeed, tell me how much.
  MARK ANTONY:There's beggary in the love that can be reckon'd.
  CLEOPATRA:I'll set a bourn how far to be beloved.
  MARK ANTONY:Then must thou needs find out new heaven, new earth.(1.1)

クレオパトラがアントニーの愛を疑うのは、それが対等の人間同士の間の対等な愛ではなく、征服する者が征服されたものに抱く優越的な愛であるかもしれないと思うからだ。アントニーには征服者としてクレオパトラをもてあそぶ、心のゆとりがあるかもしれないのだ。

だがアントニーは、自分の愛はそんなものではないと答える。自分はローマを捨ててでもクレオパトラを選ぶだろう。それほど彼女への愛は強固なものなのだ、そうアントニーは宣言する。

  アントニー:ローマなどティベレ川に飲まれるがよい
   帝国にかかるアーチも崩れるがよい
   ここが俺の場所だ 帝国など土くれに過ぎぬ
  MARK ANTONY:Let Rome in Tiber melt, and the wide arch
   Of the ranged empire fall! Here is my space.
   Kingdoms are clay: (1.1)

つまりクレオパトラがいるところが自分の生きる世界であり、クレオパトラのいないローマなど何の価値もない。

クレオパトラは、そんなアントニーに対して、終始一貫した愛をささげるわけではない。彼女が真にアントニーに自分をささげるのは彼が死んだあとだ。クレオパトラにとってアントニーは、強い男である場合にだけ心惹かれる存在でありえた。敗北してうなだれたアントニーは愛するにはふさわしくない存在なのだ。死んでしまったアントニーは、弱さの実像から解放されて、純粋な愛の対象になりえたということだ。

クレオパトラのアントニーに対する愛は、劇の進行の合間に幾たびも揺れ動く。この劇は10年間にわたる長い年月の出来事を描いているのであるから、その間にクレオパトラが、幾たびか心変わりをしても不自然ではない。

そんなクレオパトラが、アントニーに対して激しい嫉妬心を抱く場面が一度だけある。アントニーがオクタヴィアと結婚したことを知った時のことだ。その時クレオパトラは自暴自棄になって次のように叫ぶ。

  クレオパトラ:エジプトなどナイル川に沈むがいい
   そこに住む生き物たちはみな蛇になるがいい
  CLEOPATRA:Melt Egypt into Nile! and kindly creatures
   Turn all to serpents! Call the slave again:
   Though I am mad, I will not bite him: (2.5)

エジプトはクレオパトラにとっては故郷そのものだが、それでもアントニーのいないエジプトには何の価値もない。そんなエジプトなどナイル川に沈んでしまえばいいのだ。

アントニーは劇の最後でオクタヴィウスに破れてついには自殺に追い込まれる。その過程で、クレオパトラが自分を裏切ったと誤解する場面もある。どちらも落ち目になった男が陥りやすい過ちとして、シェイクスピアは描いている。

アントニーの最後は、歴史上の英雄に相応しい死に方として描かれている。アントニーは敵によって倒されたのではない。自分自身の意思によって、自分自身の手にかかって死んだのだ。その死に際をクレオパトラも見届ける。彼女はアントニーが武人に相応しく死んでいくのを見て、自分の恋が間違ってはいなかったと確信する。

  アントニー:シーザーの勇気がアントニーを倒したのではない
   アントニーの勇気が自分自身に打ち勝ったのだ
  クレオパトラ:そのとおりだわ アントニー以外の誰も
   アントニーを降伏させることはできない でもなんて悲しいこと!
  アントニー:エジプトの女王よ 俺は死ぬのだ
   だがその前に 死に神に暫しの猶予を乞い
   お前の唇に 幾たびか重ねた中でも
   飛び切り悲しい最後の口づけをしるしたい
  MARK ANTONY:Not Caesar's valour hath o'erthrown Antony,
   But Antony's hath triumph'd on itself.
  CLEOPATRA:So it should be, that none but Antony
   Should conquer Antony; but woe 'tis so!
  MARK ANTONY:I am dying, Egypt, dying; only
   I here importune death awhile, until
   Of many thousand kisses the poor last
   I lay up thy lips.(4.15)

こうして歴史上の英雄であるアントニーは壮絶でしかも意義のある死に方をする。その死に方をドラマティックに彩ることで、シェイクスピアはアントニーをオクタヴィアス以上に偉大な人間として描き出したといえる。





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