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三人の魔女:マクベス


マクベスの冒頭に登場するのは三人の魔女たちである。彼女ら、あるいはそのものらは、おまじないのような、現代の観客にはまるで意味の通じない言葉を発して、闇の中に消え去る。
 
 第一の魔女:今度はいつ会おうかの
   雷 稲光 それとも雨が降る夜?
  第二の魔女:大騒ぎが一段落したら
   戦いに敗れて勝利したら
  第三の魔女:日の沈む前にね
  第一の魔女:落ち合う場所は?
  第二の魔女:あの荒野
  第三の魔女:そこでマクベスと会おう
  第一の魔女:そうしよう 老いぼれ猫さん
  第二の魔女:ガマガエルが呼んでいる
  第三の魔女:今すぐ行くよ
  三人の魔女:きれいなものはむかつく 汚いものは素敵だ
   忌々しい霧の中を飛んで行こう
  First Witch:When shall we three meet again
   In thunder, lightning, or in rain?
  Second Witch:When the hurlyburly's done,
   When the battle's lost and won.
  Third Witch:That will be ere the set of sun.
  First Witch:Where the place?
  Second Witch:Upon the heath.
  Third Witch:There to meet with Macbeth.
  First Witch:I come, Graymalkin!
  Second Witch:Paddock calls.
  Third Witch:Anon.
  ALL:Fair is foul, and foul is fair:
   Hover through the fog and filthy air.(1.1)

三人の魔女たちが交すこれらの言葉が、いったい何を意味しているのか、さまざまな解釈がなされてきた。それらの解釈は、魔女をどのようなものとしてとらえるかによって、互いに異なったものになる。最も有力な解釈は、魔女を異界と現実との橋渡しをする存在としてとらえ、彼女らの言葉を異界からの贈り物として見る考えである。この立場では、魔女たちの役柄は主に予言的な機能を果たすことにある。

実際彼女ら、あるいはそのものらが再び現れるのは、マクベスに対して運命的な予言をするときなのであるが、それはマクベスの運命の転換にとっても、この劇の展開にとっても、決定的に重要な意味を持つのだ。

だがこうした解釈では、魔女たちの言葉に潜んでいる荒唐無稽さはなかなか理解できないだろう。たとえば三人の魔女が口をそろえて、Fair is foul, and foul is fairというとき、何故彼女らがそんなことをいうのか、合理的な説明はなかなかできるものではない。

魔女という存在は、現代人にとってはせいぜい象徴的な意味合いしか持ちえないものになってしまったが、シェイクスピアの時代にはまだ、実在的なものとしてとらえられていたフシがある。つまり魔女は単なる空想の産物ではなく、実際にそこに(多くの場合森の奥に)存在し、我々生きている人間たちに、現実に影響を及ぼすことがあるものなのだ。

ミシュレが明らかにたように、ヨーロッパでは近世の入り口まで、普通の人間が魔女として糾弾され、火あぶりにされていたのであるから、シェイクスピア劇を見ていた観客が、魔女たちをマクベスやマクベス夫人に劣らず現実性を帯びた存在として受け止めたことは大いにありうる。

シェイクスピア時代の人々にとって、魔女は理性でとらえられるものではない。彼女らは人間の理性の及ばない領域で暮らしている。だから彼女らの吐く言葉も、我々人間の言葉とは違っているはずだ。人間にとって自明な理屈が彼らにとってそうであるとは限らず、彼らにとって自明なことが我々にとって明確だとは限らない。

こんな前提があるから、魔女たちは人間にとって聞き分けのない言葉を、平然としゃべるのだ。シェイクスピアはどうもこんな風に考えていたのではないか。

シェイクスピア劇には亡霊はたびたび出てくるが、魔法使いが出てくるのはこの劇以外にはない。「ウィンザーの陽気な女房たち」ではフォールスタッフが魔法使いにされる場面があるが、それは狂言芝居としてである。狂言としてではなく、物語の本筋として魔女が出てくるのはこの劇だけなのである。

さて、そんな実在的な存在としての魔女たちが、マクベスにまとわりついて、彼に重大な予言をする。マクベスはその予言を信じないではいられなくなる。それはある意味で当然のことなのだ。魔女は単なる空想的存在ではなく、実在的な影響力を持つ存在なのであるから、彼女らがマクベスにかけた呪いは、現実的な重みを以て作用せずにはいないのだ。

その彼女らの迫力ともいうべきものを、マクベスとともにいたバンクォが次のように言う。

  バンクォ:なんだ こいつらは
   ひねこびて むさくるしいなりをして
   この世のものとも思われぬが
   こうしてこの世に生きておる
  BANQUO: What are these
   So wither'd and so wild in their attire,
   That look not like the inhabitants o' the earth,
   And yet are on't?(1.3)

バンクォが魔女について語っていることは、当時の民衆たちの抱いていたものを代弁しているのだと、受け取れることができよう。魔女たちはこの世とは異なった世界の存在でありながら、この世に生息してこの世の住人たる自分たちに悪しき影響を及ぼす、そんな風なイメージだ。

マクベスとバンクォに、魔女たちは運命の予言をする。マクベスはスコットランドの王となり、バンクォの子孫たちがその王位を引き継ぐだろうという予言だ。これに対してマクベスはどう受け取ったらよいかといったんは悩むが、スコットランド王になる前にコーダーの領主になるであろうという予言が実現したのを前にして、その予言がもしかしたら本当に実現するかもしれないと期待するようになる。

マクベスの悲劇的なところは、彼が受けた予言の内容を自分自身の手で是が非でも実現しようとする気概を持つことが少なく、その予言がタナボタ式に成就されること、つまり自分の手を汚すことなく実現されることを願うところにある。だからマクベス夫人も心も鬼にして亭主の尻をひっぱたかなくてはならなかったのだ。

いったん魔女たちの予言に翻弄されたマクベスは、その後も魔女たちの言葉によって振り回され続ける。その新たな言葉とは、マクベスを破滅に向かって導いていく内容のものだった。





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