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恋のとりもちMatchmaker:シェイクスピアの喜劇「から騒ぎ」


「から騒ぎ」という喜劇を構成している主要な要素は二組の男女の恋だ。他のシェイクスピア喜劇同様、この劇にあっても男女の恋がモチーフとなっている。シェイクスピアの時代にあっては、シェイクスピアに限らず、喜劇というものは男女の恋を中心に展開するものだったのだから、当然といえる筋立てだ。

この劇にあっても、恋が成就するまでにはさまざまな障害がある。恋というものは一筋縄ではいかず、試練を乗り越えて始めて成就されるものだ。この劇においても、恋が成立すること自体にも、工夫がある。

二組の恋とは、クローディオとヒーロー、ベネディックとベアトリスの恋だが、このふたつの恋とも、ドン・ペドロの仕掛けた細工によって成立する。ドン・ペドロはクローディオにかわってヒーローをくどき、彼女の同意を取り付けたうえでクローディオと結ばせる。この場合にはドン・ペドロが恋の産婆役を勤めるわけだ。

一方ベネディックとベアトリスにはもっと巧妙な仕掛けを用意する。周囲の人々を巻き込んで、この二人に対して、相手が自分のことを心から愛しているのに、それが口でいえなくて思い悩んでいるなどと、吹き込むのだ。第三者から相手の気持ちを聞かされたふたりは、互いに相手を愛するように仕向けられる。ふたりは自分の意思からではなく、世間の目によって結び合わされるというわけだ。

恋がいったん成立した後でも、二組の愛は順調には進まない。そこには重大な障害が待ち受けている。この生涯を乗り越えなければ、カップルは本当には結ばれない。障害を乗り越えてこそ本当の愛が結ばれるというのが、喜劇の基本的なプロットなのだ。

二組のうち最初に結ばれるのはクローディオとヒーローだ。ドン・ペドロはこのふたりに対する最初のたくらみを成功させた後、ふたつ目のたくらみに取り掛かる。まずベネディックにベアトリスを愛させるように仕向け、ついでベアトリスにベネディックを愛させるように仕向けねばならぬ。

このたくらみに取り掛かるにあたって、ドン・ペドロは楽師のバルサザーを呼んで、歌を歌わせる。

  バルサザー:調べを聞く前に聞いてください
   妙なる調べがあるとしたらそれはわたしの調べではありません
  ドン・ペドロ:面白いことをいうやつだ
   調べに調べがかさなると調子はずれの調べになるか
  バルサザー:(歌う)
   嘆くのはおよし 娘たち
   男とは頼りにならぬもの
   いつも二股をかけてばかり
   いっこう真心を示さぬもの
   それ故 嘆くのはやめて
   陽気に振舞うがいい
   恋の嘆きもなんのその
   笑い飛ばしてしまいなさい
   歌うのはおよし 娘たち
   嘆きの歌なんて歌わない
   どうせ男なんて夏草のように
   いつまでも頼りにならないから(第二幕第三場)
  BALTHASAR:Note this before my notes;
   There's not a note of mine that's worth the noting.
  DON PEDRO:Why, these are very crotchets that he speaks;
   Note, notes, forsooth, and nothing.
  The Song
  BALTHASAR
   Sigh no more, ladies, sigh no more,
   Men were deceivers ever,
   One foot in sea and one on shore,
   To one thing constant never:
   Then sigh not so, but let them go,
   And be you blithe and bonny,
   Converting all your sounds of woe
   Into Hey nonny, nonny.
   Sing no more ditties, sing no moe,
   Of dumps so dull and heavy;
   The fraud of men was ever so,
   Since summer first was leafy:

この歌は、シェイクスピアの時代に広く人口に膾炙していたものらしい。恋が思いのようにはならぬことを歌ったものだ。バルサザーとドン・ペドロの会話には、そのあたりが地口の中で面白おかしく盛り込まれている。うまくいけばお慰み、うまくいかなくても落胆するには及ばない、という意味だろう。

クローディオとヒーローの場合と異なって、ベアトリスとベネディックに互いを愛させることはそう簡単ではない。ベアトリスはカタリーナとは違って、相手にいかれているわけではないし、むしろその粗野なところを軽蔑さえしている。ベネディックのほうも、ペトルーチオのように相手の金を当てにしているわけではなく、女というものが信用できない男なのだ。

そんなふたりが意外にあっさりとたくらみに引っかかる。そこのところがまた面白い。いままで恋とは縁がなかった二人が、俄然恋のとりこになってしまうのだ。「真夏の夜の夢」に出てきた4人の男女が、パックの魔法にかかって、めちゃくちゃな恋心のとりこになってしまうのによく似ている。

まずベネデッィクがベアトリスを愛するように仕向けられる。がさ藪の中に隠れているベネディックに、周りの者たちがああでもないこうでもないと言い聞かせ、彼の頭を混乱させてしまうのだ。

  ベネディック:これはトリックじゃないぞ
   みな真剣に話していた それもヒーローから聞いたといっていた
   みなベアトリスに同情しているようだ
   だいぶ思いつめているという
   それも俺様にくびったけとは 黙っているわけに行かぬ
   それにしてもおれの評判はよくないな
   ベアトリスに惚れられてると分ったら
   おれが傲慢な態度にでるだろうなどといっていた
   それを知られるくらいならベアトリスは死を選ぶだろうなどとも
   これまで結婚のことなど考えたこともなかったが
   傲慢と思われるのもいやだ
   非難されてわが身を正すことが出来るものは幸いというべきだ
   みんなベアトリスは美しいといっていた
   それはたしかだ この俺が証人になってもいい
   貞淑だともいっていた そのとおり 否定しようがない
   頭がいいともいっていた 俺に惚れたことを別にすればなどと
   もっとも俺に惚れたからといって それが頭のいい証拠にはならぬが
   おろかだということにもなるまい
   どうやら俺はあの女に恋をしてしまいそうだぞ(第二幕第三場)
  BENEDICK:[Coming forward] This can be no trick: the
   conference was sadly borne. They have the truth of
   this from Hero. They seem to pity the lady: it
   seems her affections have their full bent. Love me!
   why, it must be requited. I hear how I am censured:
   they say I will bear myself proudly, if I perceive
   the love come from her; they say too that she will
   rather die than give any sign of affection. I did
   never think to marry: I must not seem proud: happy
   are they that hear their detractions and can put
   them to mending. They say the lady is fair; 'tis a
   truth, I can bear them witness; and virtuous; 'tis
   so, I cannot reprove it; and wise, but for loving
   me; by my troth, it is no addition to her wit, nor
   no great argument of her folly, for I will be
   horribly in love with her.

ここで面白いことは、ベネデッィクが自分の自尊心をくすぐられる形でベアトリスを愛してしまうことだ。自分は別に強制されてベアトリスを愛するわけではない、そうではなくて彼女を愛することが自分の尊厳を証明することでもあるのだ、そんな理屈をベネデッィクは自分に言い聞かせるのである。

一方ベアトリスのほうもわけなくベネディックを愛するように仕向けられる。これもやはり自分の女としての自尊心をくすぐられてのことであるが、不思議なのは、あんなにも男を軽蔑していた女が、まるで呪文にでもかかったように、いきなり男を好きになってしまうことだ。ベネディックの場合以上に、呪文が聞いたと思わざるを得ない。

  ベアトリス:この耳のほてりは何かしら これは本当なのかしら
   高慢で口うるさい女だと思われてるのかしら
   罵りの言葉よさようなら 片意地ともお別れ
   そんなものの影に栄光などないんだわ
   さあベネディック愛して わたしもあなたの愛に報います
   わたしの粗野な心をあなたの愛の手で飼いならしてちょうだい
   あなたが愛してくだされば わたしもその愛に答え
   二人の愛を硬く結び付けるよう努めましょう
   みんなはあなたのことを立派だといっていた
   わたしも誰にも負けないくらいそう思います(第三幕第一場)
  BEATRICE:[Coming forward]
   What fire is in mine ears? Can this be true?
   Stand I condemn'd for pride and scorn so much?
   Contempt, farewell! and maiden pride, adieu!
   No glory lives behind the back of such.
   And, Benedick, love on; I will requite thee,
   Taming my wild heart to thy loving hand:
   If thou dost love, my kindness shall incite thee
   To bind our loves up in a holy band;
   For others say thou dost deserve, and I
   Believe it better than reportingly.

ここでベアトリスが語る言葉は、短縮されたソネットである。喜劇の中でも愛の言葉が語られるときは、散文ではなく韻文でなければならぬ。韻文の中でもソネットは、愛を語るにもっとも相応しい言葉なのだ。



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