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リチャード三世:シェイクスピアの王権劇



リチャード三世は、シェイクスピア劇の原点とも言える作品である。ルネッサンスの祝祭感覚を反映した一連の喜劇的作品を別にすれば、歴史劇と悲劇に通じる共通のテーマが、すべてここに盛り込まれている。そのテーマとは、歴史の巨大なメカニズムに突き動かされる個人の悲劇であり、歴史の宿命を背負った個人の生々しいあがきである。

シェイクスピアにとって歴史とは、ある目的に向かって一直線に進歩していくものではなく、したがって意味を持つものでもなかった。歴史とは同じことの繰り返しであり、歴史の意味と思われるようなものは、幻想に過ぎない。歴史を突き動かしているのは、権力への意思であり、権力を巡る個人間の闘争である。そこには神は現前せず、権力を目指すもの、それを獲得したもの、権力から追われるもの、彼らの間のあからさまで血みどろの戦いがあるのみなのだ。

こうした観点からリチャード三世を読み直すと、この劇がなぜ、シェイクスピア劇の原点といえるのか、そのわけがよくわかる。リチャードは王権の奪取を狙っている、その目的を果たすためにはあらゆる手段を辞さない、彼は王を殺し、王の後継者たちを次々と殺し、自分がついに王になる。これまで自分の手足となって自分を助けてきたものも邪魔になって殺しつくす。

しかしいったん王座にたつと、その後には自分の王権を守るべき立場に立つ。彼は自分の犯した数々の悪行のために臣下の信頼を失っている。そこに新しいヒーローが現れる。ヒーローはリチャード三世に反感を抱く人々を結集して、王権を奪取するための戦いに立ち上がる。そしてついに新しい王が誕生する。

しかしその新しい王も、やはりリチャード三世と同じ運命をたどることになる。つまり歴史は一回りはしたが、振り出しの地点に再び戻ってきただけなのだ。

シェイクスピアの一連の歴史劇はみな、リチャード三世のコピーといえるほど、同じパターンの繰返しである。それは王権の獲得と没落とを螺旋状に重ねていく過程に過ぎない。この見方に立てば、マクベスもハムレットも同じパターンの延長にあることがわかる。マクベスはやや違った顔つきをしたリチャードであり、ハムレットはリチャードに殺されたものの立場から、歴史の動きを捉えたものだということができる。

シェイクスピアがリチャード三世を書いたのは、創作活動を開始して間もない時期である。彼は処女作であるへんりー六世三部作を書いた後に、この物語を書いた。ヘンリー六世においても、権力の栄光とそこからの没落を描いていた彼は、この作品の中で、王権の奪取とそこからの没落というテーマを意識的に追求したのだといえる。

自分のテーマを明確にするために、シェイクスピアは実在の人物であるリチャード三世を、テーマに沿う形でデフォルメしたと思われる。国王を悪者として描くことには、ある種の危険が伴ったかもしれないが、シェイクスピアにとっては幸いに、エリザベス女王のチューダー朝は、リチャード三世を悪人として断罪していた。リチャード三世のまいた種によってバラ戦争が起こり、それを収束させる形でチューダー王朝が登場した、当時はそう考えられていたのである。

シェイクスピアはそんな時代の空気に乗ずる形で、リチャード三世という実在の王を、思い切り悪人に仕立て上げることができたのだろう。

その結果シェイクスピアは、前代未聞の悪党像を描き出すことができた。どの国の歴史にも、いや人間全体の歴史においても、かつて認めることがなかったほど、徹底した悪党である。

この悪党は、自分の目的を遂げるためなら、どんな陰惨なことでも平然とやってのける。目的とはただひとつ、王権の奪取とその維持である。だがこの悪党にも肉欲はある。欲しい女を手に入れるために、アクロバットのような離れ業を演じたりもする。とにかく、悪党なりにその生き方は首尾一貫しているのだ。

こんなところにリチャード三世という人物の魅力の秘密がある。彼は背虫で醜い容貌をしており、しかも片足を引きずっている。性格にも人に愛されるところはない。ただ憎まれ、恐れられるだけである。そんな人物がなぜ、人々を服従させ、王権を奪取できたのか。またなぜ、敵の間柄にある女の心を捉えることができたのか。

シェイクスピアは、この「なぜ」に対する回答を、淡々と描き進める。だがそれは理屈ではない。また意味づけでもない。出来事の進行なのだ。その出来事はしかし、偶然に起きたことではない。その裏に必然性がある。

シェイクスピアにとっては、リチャードが王になったのは必然的な出来事だったのであり、また彼が没落せざるを得なかったのも、必然的なことだった。では何が必然性を支えているのか。

それは人間というものが本性上備えている傾向なのだ、そうシェイクスピアは考えていたようである。

人間の社会なんて、以外と単純な傾向にしたがって動いている。そこには進歩もないし、意味もない。いつも同じことの繰返しだ。王権は誰かが奪取するようにできているし、奪取したものは、いつかは他の者に奪取されなければならない。だからリチャードが王になったのは、別に不思議なことでも何でもない。彼は歴史の見本のうちのひとつの例に過ぎないのだ。


悪の独白

悪魔の誘惑

怨念の呪い

暗殺者たち Murderers

嘆きのコーラス


この世の真実とは

女たちの呪い

馬と引き換えに王国をやるぞ My kingdom for a horse



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