HOMEブログ本館英詩と英文学マザーグースブレイク詩集ビートルズ東京を描くフランス文学



名誉とはただの言葉(フォールスタッフの教義問答):シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー四世」第一部


フォールスタッフが吐き出す数々の言葉のうちで、もっともフォールスタッフらしいものは、名誉について述べた言葉である。

ヘンリー四世の軍が態勢を整えて、ホットスパーらの反乱軍を打つべく、次々とシュルーズベリーの戦場へと発進する。フォールスタッフもその一翼を担わされ、駆り集めた乞食どもの一隊を引き連れて発進する。だがフォールスタッフの目的は、戦功をあげて名誉に輝くことではなく、あくまでも生き残ることだ。死んでしまっては、名誉など何の役にも立たないではないか。

  フォールスタッフ;名誉で足が直せるか? いいや
   腕は? いいや
   傷の痛みを取り去ってくれるか? いいや
   名誉は外科医じゃないんだろう? ああ
   じゃあ 名誉とは何なんだ? 言葉さ
   名誉とかいうその言葉は何者なんだ?
   その名誉とは何なんだ? 空気さ
   とんだ損得勘定だ!
   誰がそれを持ってるんだ?
   水曜日に死んだ奴さ
   そいつはそれを感じたのか? いいや
   そいつはそれを見たのか? いいや
   感ずることができないと見えるな 死んだものにはね
   生きてるものには感じることができるのか? いいや
   何故だ? うるさがたが生かしておかないからさ
   そんなら俺はまっぴらだ
   名誉など ただのこけおどしに過ぎない
   これで俺様の教義問答は終わりだ(第五幕第一場)
  FALSTAFF ; Can honour set to a leg? no:
   Or an arm? no:
   or take away the grief of a wound? no.
   Honour hath no skill in surgery, then? no.
   What is honour? a word.
   What is in that word honour?
   What is that honour? air.
   A trim reckoning!
   Who hath it?
   he that died o' Wednesday.
   Doth he feel it? no.
   Doth he hear it? no.
   'Tis insensible, then. Yea,to the dead.
   But will it not live with the living? no.
   Why? detraction will not suffer it.
   Therefore I'll none of it.
   Honour is a mere scutcheon:
   and so ends my catechism.

フォールスタッフが名誉について抱く観念は、ことごとくほかの人物たちと対立している。王や王子、騎士たちが戦場で戦うのは、少なくとも表向きは名誉のためである。権力は名誉に伴ってもたらされるのだ。

ところがフォールスタッフにとっては、名誉とは権力や富に付随しているものなのだ。名誉はそれ自体としては、なんらの内実をももっていない。それはただの言葉なのだ。だから権力や富に伴われていない名誉など、空気同様のものに過ぎない。

一方、劇の中でもっとも名誉にこだわっているのはホット・スパーだ。ホット・スパーにとっては、名誉はそれ自体が価値のあるものであり、したがって命と引き換えにしても、追求すべきものである。不名誉な汚名を受けては、どんな栄光も光を失う。

シェイクスピアは、フォールスタッフとホット・スパーを両極に置くことで、名誉の観念を相対化しようとした、そうもいえる。

また、この言葉を語るときのフォールスタッフは、観客にとってはあたかも劇の外側にいるような印象を与えている。フォールスタッフは劇の進行から一歩身を退けて、劇の中でおきている事柄を、第三者の視点から論説しているかの印象を与える。

これは物語の語り部のような役柄といえる。シェイクスピアは「ジョン王」のなかで、ファルコンブリッジにそのような役割をさせていたが、ここではフォールスタッフがそれを行う。

こうすることでフォールスタッフは、劇中の道化としてのほか、劇の進行を神の眼で凝視する語り部の役割をも果たしている。出来事を客観的に語りうるのは、劇の外側に身を置いているものだけなのだ。言い換えれば歴史を客観的に語りうるのは、歴史の外側に身をおいているものだけなのだ。



前へHOME歴史劇ヘンリー四世第一部次へ







作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2009
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである