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英雄の妻たち Portia is Brutus' harlot:シェイクスピアの悲劇「ジュリアス・シーザー」


シェイクスピア劇に出てくる女性の類型には、大きく分けて二つある。ひとつはリチャード三世を初めとした歴史劇に出てくる女たちで、彼女たちは男たちの血なまぐさい権力闘争の真の犠牲者として描かれている。彼女らの役割は、劇の中で殺された自分の夫や子どもや親の不幸な運命を嘆き悲しむことだ。

もうひとつは祝祭的な喜劇に出てくる女たちだ。彼女たちは男たち以上に大きな存在感をもって、生きることの喜びをはちきれんばかりに謳歌している。

この二つの典型に比較すると、ジュリアス・シーザーという劇に出てくる女たちは、なにか中途半端なところがある。女たちといっても、問題になるのはブルータスの妻ポーシャと、シーザーの妻カルパーニアだ。この劇には他には女性は出てこないのだ。

彼女らは殺された夫のために嘆き悲しむことはない。また生きることの喜びを天真爛漫に歌うこともない。夫の影に付きまとって、不吉な予感にうろたえるばかりなのだ。そんな妻を前に、夫たちは自分の勇気がぐらつくのを感ずる。つまりふたりの妻とも、マイナスの役割しか果たしていない。

ブルータスの妻ポーシャは、夫が何か知らぬ秘密を持っていて、それを自分に打ち明けてくれないのが不満だ。

  ポーシャ:わたしにはあなたに属する秘密を
   知る資格がないのでしょうか わたしがあなたと一体なのは
   いわば条件付のことであって
   あなたの食事の支度をしたり 寝屋の相手となったり
   時々話しかけたりするときだけですか?
   わたしはあなたの快楽の周辺で生きているだけですか?
   もしそうならポーシャはブルータスの娼婦です 妻ではありません
  ブルータス:お前はわしのかけがいのない大事な妻だ
   心臓をめぐっている真っ赤な血潮に劣らず
   大事な人だ
  ポーシャ:もしそうなら わたしにも秘密を教えて
   わたしはたしかに女ですけれど
   ブルータスが妻に選んだ女なのですから(第二幕第一場)
  PORTIA:Is it excepted I should know no secrets
   That appertain to you? Am I yourself
   But, as it were, in sort or limitation,
   To keep with you at meals, comfort your bed,
   And talk to you sometimes? Dwell I but in the suburbs
   Of your good pleasure? If it be no more,
   Portia is Brutus' harlot, not his wife.
  BRUTUS:You are my true and honourable wife,
   As dear to me as are the ruddy drops
   That visit my sad heart
  PORTIA:If this were true, then should I know this secret.
   I grant I am a woman; but withal
   A woman that Lord Brutus took to wife:

ポーシャは夫の秘密主義を激しくなじるが、かといってそれを共有したあとで、夫のためになにかができるというわけではない。むしろその秘密の重みに耐えかねて、どうしたらいいかわからなくなるような愚かな女だ。

劇の中でブルータスらの秘密が漏れていることを暗示するシーンがあるが、もしその秘密をばらしたものがいたとしたら、ポーシャは真っ先に疑われても仕方がない、それほど彼女は軽率な女として描かれている。

ブルータスらの反逆が民衆の怒りを買って、逃亡に追い込まれたとき、ポーシャは夫がまだ生きている間に、自殺してしまう。それも燃え盛る炎を飲み込んで死ぬという異常な死に方だ。

一方カルパーニアのほうは迷信に振り回される女として描かれている。彼女は占い師の言葉を信じて、3月15日に夫の身に取り返しのつかないことが起こるのを恐れているのだ。

  カルパーニア:わたしは決して大げさにいうのではありませんが
   今日は恐ろしくてたまらないのです それも
   今まで見聞きしたこともないような
   まがまがしい出来事が目撃されているというではないですか(第二幕第二場)
  CALPURNIA:Caesar, I never stood on ceremonies,
   Yet now they fright me. There is one within,
   Besides the things that we have heard and seen,
   Recounts most horrid sights seen by the watch.

シーザーは妻の不安に同調する。もしかしたら妻の言うとおり、占い師の言ったことは実現するかも知れぬ。そう考えたシーザーは、いったんは、議事堂へでかけることを思いとどまる。だが結局迎えのものがきて、出かけざるをえなくなる。その結果、妻の不安どおり殺されてしまうのだ。

ところでカルパーニアはこの場面を最後に二度と登場しない。夫の死を嘆く機会さえ与えられない。

こうしてみるとシェイクスピアは、この劇の中では、女性をまともに扱っているとはいいがたいようだ。彼女らは男たちの弱さを間接的にあぶりださせるような役割に甘んじている。



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