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愛のソネット If I profane:シェイクスピアの悲劇「ロメオとジュリエット」


「ロメオとジュリエット」が超一級の恋愛物語となりえたのは、二人の主人公が交わす言葉が、至高の美しさを帯びているからだ。名高いバルコニーのシーンやともに夜を明かしたときのシーンをはじめ、二人の言葉の交わしあいは、詩的なリズム感にあふれている。

シェイクスピアは、この純真な男女の言葉を書くときには、詩的なインスピレーションを最大限に発揮させるよう努めた。そんな試みのひとつとして、二人が始めてであったときの会話があげられる。この会話は、たんにリズミカルなだけでなく、全体がひとつのソネットになっているのである。

  ロメオ:もしもわたしのいやしい手が 聖なる神殿
   あなたを汚してしまったら その罰として
   ここに控えています二人の巡礼 わたしの二枚の唇が
   手が汚してしまったところを 優しく拭い取って差し上げましょう
  ジュリエット:巡礼さん それでは余りに手がかわいそう
   手は手なりに礼儀正しく信心しています
   聖者の手は巡礼たちの手によって触れられる
   巡礼たちには手を握り合うことがキスそのもの
  ロメオ:聖者も巡礼も唇を持たないのでしょうか
  ジュリエット:巡礼たちの唇は祈りの言葉をいうためのもの
  ロメオ:では聖者よ 手がなすことを唇にもなさしめたまえ
   信頼が絶望へと変わらぬよう このように唇で祈りましょう
  ジュリエット:あなたの祈りを許しても 聖者は動きませぬ
  ロメオ:そのまま静かに いずれ祈りの効果が現れましょうから
  ROMEO:[To JULIET]
   If I profane with my unworthiest hand
   This holy shrine, the gentle fine is this:
   My lips, two blushing pilgrims, ready stand
   To smooth that rough touch with a tender kiss.
  JULIET:Good pilgrim, you do wrong your hand too much,
   Which mannerly devotion shows in this;
   For saints have hands that pilgrims' hands do touch,
   And palm to palm is holy palmers' kiss.
  ROMEO:Have not saints lips, and holy palmers too?
  JULIET:Ay, pilgrim, lips that they must use in prayer.
  ROMEO:O, then, dear saint, let lips do what hands do;
   They pray, grant thou, lest faith turn to despair.
  JULIET:Saints do not move, though grant for prayers' sake.
  ROMEO:Then move not, while my prayer's effect I take.

この部分がソネットの形をなしていることは、よほど注意しないと見過ごしてしまう。それぞれの行は10の音節からなり、しかも脚韻を踏んでいる。英詩の伝統の中でアイアンビックといわれる韻律の形式をとっているのである。

「ロメオとジュリエット」を書いていた時期、シェイクスピアは平行してソネット集の諸遍をも書いていた。シェイクスピアはソネットという詩形を利用して、人間の愛について、さまざまな歌い方をしていたものだ。

ソネットにおけるそうした実験の成果を、シェイクスピアはここで取り入れたのだ。通常ソネットは一人の立場から歌われるものだが、ここではそれを男女二人の恋人に歌わせた。そうすることで愛の詩形としてのソネットに、また新しい可能性が生まれたといえる。

恋愛劇としての「ロメオとジュリエット」に対する、シェイクスピアなりの意気込みが感じられる一齣だ。



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