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王と道化:シェイクスピアの悲劇「リア王」


リア王の道化はリア王が転落を始めるころに現れ、そして王が完全な狂乱状態になる頃にスウーッと消え去る。このことからこの道化を、リア王の分裂した意識の片割れと見立てることも可能だ。

実際この道化には名前がない。「十二夜」のフェステや「お気に召すまま」のタッチストーンには固有の名前がついていて、同じ道化とはいえ、それなりの個性があった。ところがリア王の道化には名前がない。道化をリア王の片割れと考えれば、その問題は解消する。リア王が完全な狂乱状態に陥るとともにこの道化がいなくなるのも、道化をリア王の意識の片割れと考えれば不思議ではなくなる。

名前がないから性格がないかといえば、そうではない。少なくとも道化としての性格は備えている、ヤン・コットはそれをあの道化芝居の主人公アルレッキーノ(英語ではハーレクィン)を持ち出して説明している。

アルレッキーノはヨーロッパのカーニバルには欠くことのできないキャラクターだ。その本質は、世界の秩序をひっくり返し、何もかもを、逆さまにしてしまうことだ。アルレッキーノにとっては、王も阿呆も区別はない。それだから、まだ自分が王だと思っているリア王は、アルレッキーノに腹を立てて、次のように難詰するわけなのだ。

  リア王:わしを阿呆だというのか
  道化:ほかの肩書はみな譲っちゃたじゃないか
   あんなに残っているのは生まれながらのその肩書だけよ
  ケント:こいつだけが阿呆ばかりともいえませんな
  道化:世の中のお偉いさん方がそうはさせてくれないんです
   自分たちも阿呆の仲間入りをさせてくれとねだるんですよ
  KING LEAR:Dost thou call me fool, boy?
  Fool:All thy other titles thou hast given away; that
   thou wast born with.
  KENT:This is not altogether fool, my lord.
  Fool:No, faith, lords and great men will not let me; if
   I had a monopoly out, they would have part on't:(1.4)

道化には、リア王の置かれている状態がよく見えている。リア王はもはや王ではなくなったのだ。なのにリア王はまだ自分が王であると勘違いしている。道化はそれを指摘して、世界がすでに逆さまになってしまっていることを、気づかせようとする。

  道化:旦那 家庭教師を雇って嘘のつき方を教えさせてくださいな
   おれには嘘のつき方がわからないんだ
  リア王:嘘などついたら 鞭をくれてやるぞ
  道化:おっと驚いた とんだ親子もあったもんだぜ
   娘たちは俺がほんとのことをいうと鞭をくれる
   親父のあんたは俺が嘘をいうと鞭をくれる
   時には黙っているだけで鞭をくれる
   まったく道化にはなりたくないもんだぜ
  Fool:Prithee, nuncle, keep a schoolmaster that can teach
   thy fool to lie: I would fain learn to lie.
  KING LEAR:An you lie, sirrah, we'll have you whipped.
  Fool:I marvel what kin thou and thy daughters are:
   they'll have me whipped for speaking true, thou'lt
   have me whipped for lying; and sometimes I am
   whipped for holding my peace. I had rather be any
   kind o' thing than a fool: (1.4)

逆さまになった世界で、生きて行こうとすれば、少しは利口にならねばならない。たまには嘘の一つもつけなければ、身の安全は図れない。そこで道化はリア王に向かって嘘のつき方を教えてくれと云うのだ。

ところがリア王は自分がまだ万能の王であり、嘘をつく必要がないほど強い人間であると思い込んでいる。自分が嘘をつく必要がないのだから、人から嘘をつかれることも許せないのだ。

ところが道化は、リア王の娘たちには嘘をつくことを求められ、その父親からは反対のことを要求され、どうしていいのかわからぬと、からかっているのだ。

リア王には道化のからかいの意味も分からないし、自分が誰であるかもわからなくなりつつある。そんなリアから、「わしは何者か」と聞かれ、「リアの影法師だ」と道化は答える。リアが少しづつ実体を失いつつあることを、暗示した言葉だ。

道化はそんなリアに向かって、おんたの脳みそは頭ではなく、踵についているとからかう。どこにでもふらふらといってしまい、確固とした自分を持たないことを揶揄しているのだ。

  道化:脳みそが踵についていたら やっぱりアカギレになるもんかな
  リア王:なるだろうよ
  道化:じゃああんたは大丈夫だ 
   あんたの脳みそはアカギレができるほど落ち着いてはおらぬからな
  リア王:はっ はっ はっ
  Fool:If a man's brains were in's heels, were't not in
   danger of kibes?
  KING LEAR:Ay, boy.
  Fool:Then, I prithee, be merry; thy wit shall ne'er go
   slip-shod.
  KING LEAR:Ha, ha, ha!(1.5)

道化はこの世界がますます逆さまに落ち込んでいくことを冷めた目で見つめている。それはある意味でカーニバルの祝祭世界を思い出させるものだから、道化にとっては不快なことではない。なにもかも逆さまになるがいいのだ。

  道化:金貸しが堂々と金勘定をし
   女郎屋が教会を建立するようになれば
   このアルビオンの国は
   大混乱に陥って
   誰もが自分の二本足で
   歩くようになるだろう
  Fool:When usurers tell their gold i' the field;
   And bawds and whores do churches build;
   Then shall the realm of Albion
   Come to great confusion:
   Then comes the time, who lives to see't,
   That going shall be used with feet.(3.2)

道化が最後に出てくるのは、リア王がまともな意識を失う直前のことだ。ある瞬間、リア王は理性を失って、完全な痴呆になる。痴呆とは濁った意識、あるいは死んだ知性のことだ。そこには道化が宿る余地はない。なぜなら道化とは知性の鏡であるから。

  リア王:静かにしてくれ 静かにな カーテンを引いてくれ そうだ
   夜飯は朝になったら食うことにしよう そうそう
  道化:おれはお昼になったら寝ることにするよ
  KING LEAR:Make no noise, make no noise; draw the curtains:
   so, so, so. We'll go to supper i' he morning. So, so, so.
  Fool:And I'll go to bed at noon.(3.6)

リア王は深い眠りにつく、晩飯は目覚めた後で食おう、それは何も夜である必要はない。道化の方も、リオ王に続いて眠りにつこう。リア王が目覚めることはもうないのだから、寝る時間が真昼であっても、別に不都合はない。



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