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寝取られ亭主 Are we cuckolds?:シェイクスピアの喜劇「ヴェニスの商人」


「ヴェニスの商人」の最後の場面はラヴ・コメディに相応しい洒落た趣向に満ちている。ポーシャはバサーニオとの愛の証に指輪を与え、それを誰にも渡さないと誓わせたのだったが、バサーニオは結果的には約束を破り、それを弁護士に扮したポーシャにやってしまう。そこのところをポーシャが追求してバサーニオを攻め立てるのだ。

そこへアントニオが介入してポーシャの怒りを静めようとする。ところが無論ポーシャは怒ってはいない。それをバサーニオから巻き上げたのはほかならぬ自分なのだから。

しかしすぐにそのことを告白してしまうのはもったいない。ちょうどいい機会だからバサーニオをとことん苛めて、自分への愛を固く誓わせよう。バサーニオが自分を裏切ったのだから、自分もバサーニオを裏切ったといおう、それに対してバサーニオがどんな反応を示すか、楽しみだわというわけだ。

  バサーニオ:ねえ 聞いておくれ
   今回のことは許して欲しい 自分の魂にかけて
   もう二度と約束を破ったりしないから
  アントニオ:わたしの体はご主人の幸福のために一度は抵当にいれたもの
   もしこの指輪を手にした男がいなかったら
   今頃は消えていたはず だから今度はわたしの魂を抵当にして
   ご主人が二度と故意に約束を破ったりしないよう保証します
  ポーシャ:ではあなたに保証人になっていただきましょう
   この指輪を渡して 二度と手放さないよう誓わせてください
  アントニオ:さあバサーニオ君 これを二度と手放さないよう誓いたまえ
  バサーニオ:あ これはあの博士にあげた指輪だ
  ポーシャ:わたしはその博士からもらったのです ごめんなさい
   そのために彼と寝てしまったのよ
  ネリッサ:わたしもごめんね グラシアーノ
   あの博士の書記の小僧さんから指輪をもらったお礼に
   昨日の夜一緒に寝てしまったのよ
  グラシアーノ:なんてこった まるで真夏の道路工事みたいだ
   その必要もないのに穴を掘られた
   やれやれ 自分でやる前に人に寝取られるとは(第五幕第一場)
  BASSANIO:Nay, but hear me:
   Pardon this fault, and by my soul I swear
   I never more will break an oath with thee.
  ANTONIO:I once did lend my body for his wealth;
   Which, but for him that had your husband's ring,
   Had quite miscarried: I dare be bound again,
   My soul upon the forfeit, that your lord
   Will never more break faith advisedly.
  PORTIA:Then you shall be his surety. Give him this
   And bid him keep it better than the other.
  ANTONIO:Here, Lord Bassanio; swear to keep this ring.
  BASSANIO:By heaven, it is the same I gave the doctor!
  PORTIA:I had it of him: pardon me, Bassanio;
   For, by this ring, the doctor lay with me.
  NERISSA:And pardon me, my gentle Gratiano;
   For that same scrubbed boy, the doctor's clerk,
   In lieu of this last night did lie with me.
  GRATIANO:Why, this is like the mending of highways
   In summer, where the ways are fair enough:
   What, are we cuckolds ere we have deserved it?

結局ポーシャこそあの弁護士に変装していた人物だということが明らかにされ、喧嘩の種は消えてしまう。そこで一件落着、恋人たちはいままでにもまして固い絆で結ばれることになるという首尾である。

ところでこの挿話には何か意味が隠されているようだ。アントニオがバサーニオに同性愛のようなものを感じているらしいことは先にも言及したが、ポーシャもそれを嗅ぎつけて、自分とバサーニオとの愛にとって脅威と感じたのではないか。だから男二人の関係を徹底的に追及することで、女である自分と男であるバサーニオとの間で、果たして完全な愛が成立するのか、確かめたかったのではないか。これがひとつだ。

もうひとつはやはり、バサーニオの打算的な愛を本物の愛に高めさせることが、ポーシャの最大の目的だったのだろう。バサーニオが自分に求婚したのは、そもそも金目当てだった、そこのところはポーシャにもわかっていたのだ。だからこそ、そんな愛では満足していられない、ひとりの女として心から愛されたい、ポーシャはそう思って細工を弄したのだろう。

劇はグラシアーノがネリッサに対して初夜の営みへと誘うところでおわる。彼らは結婚して以来多忙だったおかげで、まだ夫婦の交わりさえ済ましていないのだ。ぐずぐずしていると本当に寝取られ亭主になってしまうかもしれない。

  ポーシャ:そろそろ朝だわ
   あなたがたはまだ事態が十分に
   納得いかないようね さあ家に入って
   何でも尋問してちょうだい
   包み隠さずにお話しますから
  グラシアーノ:それがいいですな 最初にネリッサに
   尋問することがある 正直に答えて欲しい
   明日の夜まで待つか それとも今すぐベッドに入るか
   というのも 夜明けまでにはまだ二時間ある
   夜が明けても まだ暗いことを祈りたいよ
   そうすればあの小僧さんと長く寝ていられるからね
   もう俺は幸せでいっぱいだ
   ネリッサの指輪をなくすことだけが心配だけど
  PORTIA:It is almost morning,
   And yet I am sure you are not satisfied
   Of these events at full. Let us go in;
   And charge us there upon inter'gatories,
   And we will answer all things faithfully.
  GRATIANO:Let it be so: the first inter'gatory
   That my Nerissa shall be sworn on is,
   Whether till the next night she had rather stay,
   Or go to bed now, being two hours to day:
   But were the day come, I should wish it dark,
   That I were couching with the doctor's clerk.
   Well, while I live I'll fear no other thing
   So sore as keeping safe Nerissa's ring.

こうしてグラシーノはとりあえず寝取られ亭主にならないですむだろう。観客から馬鹿にされることもないだろう。なにしろ寝取られ亭主の役回りは、シェイクスピアの時代にあっては、間抜けの代名詞のようなものでもあり、喜劇にはなくてはならぬキャラクターだったのだから。



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