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ヴェニスの商人 The Merchant of Venice



シェイクスピアの作品の中でも「ヴェニスの商人」The Merchant of Veniceは、最も論議を呼んだもののひとつだ。それはこの作品が、いくつものプロットから構成されていながら、それらが相互に余り関連しあっていないことによるが、それ以上に、題名のもととなったヴェニスの商人たるアントニオの影が劇の中では非常に薄いこと、脇役であるシャイロックの性格が非常に複雑であることなどによると考えられる。

プロットのなかで最も重要なのは、いうまでもなく、アントニオとシャイロックの間で交わされる金の貸し借りと、それに付随して人肉を抵当に取る話である。

アントニオは返済期限までに借金を返済できないことで、シャイロックから契約どおり肉を切り取らせるように迫られる。それも当時の一流の法治国家であったヴェニスの法律を盾にとってのことだから、誰もシャイロックの要求を退けることができない。

シャイロックはユダヤ人である。シェイクスピアの時代にはすでに、ユダヤ人は差別の対象として、劣った人種であると考えられていた。そのユダヤ人がキリスト教徒であるアントニオの肉を切り取ろうというのであるから、シチュエーションとしてはこれ以上にショッキングなものはない。

結局シャイロックは、弁護士に変装したポーシャの機転によってとっちめられ、契約どおりアントニオの肉を切り取ることができないばかりか、財産を没収され、そのうえキリスト教徒に改宗することまで求められる。

シェイクスピア時代の観客は、法廷のシーンを固唾を飲んで見守りながら、最後にユダヤ人であるシャイロックが打ちのめされるのを見て拍手喝采したに違いない。

それゆえこの劇は長い間、シェイクスピアの反ユダヤ感情が盛られたものだと考えられてきた。

シェイクスピアが筋を借りたとされる中世イタリアの民衆劇「イル・ペコローネ」は反ユダヤ感情そのもので彩られており、そのなかで出てくるシャイロックに相当する金貸しは、単にユダヤ人とだけ称されていて、名前も与えられていないという。

だがシェイクスピアがシャイロックに付与している性格は、「イル・ペコローネ」に出てくるユダヤ商人とは違って、単なる悪党ではない。彼は彼なりに社会を批判する目を持っており、その眼でキリスト教世界の矛盾を鋭く告発してもいる。その告発があまりにも真に迫っているために、シャイロックには悲劇の英雄としての性格さえうかがい見ることができるほどだ。

法廷のシーンでシャイロックに打ち勝ったポーシャは、もしかしてこの劇の真の主人公といえるかもしれない。シャイロックの不正な要求に対して正義を通すのは、劇の名目上の主人公にしてシャイロックの相手たるアントニオではなく彼女なのだ。彼女は劇の途中から出てくるに過ぎないが、彼女が登場して以降は、劇は彼女を中心にして展開していく。

ポーシャをめぐるプロットは他にもいくつかある。ひとつは求愛者たちを巻き込んでの箱選びのシーンだ。父親の意思によって金銀銅の三つの箱が用意され、その箱のうちのひとつに娘と結婚できる承諾書が隠されている。求愛者はこの承諾書を得れば、ポーシャと彼女が相続した莫大な財産を手に入れることができる。

求愛者たちは金の亡者たちだ。彼らにとって価値とは金によって測られるものである。金によって測られるものとは外見がきらびやかなものに他ならない。その外見にとらわれて彼らは金や銀の箱を選び出す。だがその結果は、ポーシャを手に入れることができないばかりか、一生結婚することもできない羽目になることだ。

バッサーニオもまた、はじめは金が目的でポーシャに近づいた男のひとりだ。彼はポーシャがいるベルモントまでの旅費と男としての体裁を整えるために、アントニオを抵当にしてシャイロックから金を借りるのだ。だからよくよく考えれば非常に調子のいいエゴイストともいえるのに、観客にはそうは感じられないのは、いつの間にか彼の愛が本物の愛に転化するからであり、また彼とアントニオとの友情が美しいと思えるからだろう。

そんなバサーニオに対してポーシャは彼の愛を試す。これがもうひとつの大きなサブプロットになっている。これにはポーシャの召使ネリッサとグラシーノとの愛のやりとりが伴奏としてついている。彼女たちは、男たちに与えた婚約指輪を変装した姿で取り上げるのだが、あとで他人にそれを与えたといって男たちを責めるのである。このやりとりが、劇の最後を祝祭的な雰囲気で盛り立てる。

こうしてみるとこの劇は、一方ではシャイロックを中心にして展開する「正義とは何か」をめぐるやりとりがあり、他方ではポーシャを中心に展開する愛の物語が絡み合っており、対位法的な構造を持っていることがわかる。

このふたつの主題のうち、従来は「正義とは何か」のほうが重視されていた。日本人などは「ヴェニスの商人」といえばすぐにシャイロックを思い出すほど、この見方が身に染み付いているといってよい。それはイギリスの観客にとってもあまり変らないことだったといえる。

だがそういう見方に立つと、ポーシャを中心に展開する祝祭的な雰囲気を正しく捉えることはできない。

やはりこの劇は基本的には祝祭的な喜劇なのだ。冒頭のシーンからして喜劇らしからぬ雰囲気が立ちこめ、そのうちシャイロックが登場してなお深刻な雰囲気に傾いていくが、それはおまけのようなもので、劇の眼目はあくまでも男女の愛のやりとりにある。

だいたい喜劇というものは、シェイクスピアの時代までは男女の愛をテーマにしたものだったのだ。この劇が喜劇であるかぎり、シェイクスピアも喜劇の本筋から離れていない。

彼がこの劇の本筋としているのは、アントニオとバサーニオとの男同士の友情、バサーニオとポーシャとの男女の愛であり、それにグラシアーノとネリッサ、ロレンゾーとジェシカとの愛が絡み合って、愛の多重奏とも言えるものを展開している。

シャイロックの挿話は、この劇に彩を添えるために、シェイクスピアが忍び込ませた奸計のようなものだといえよう。



男の友情 I know not why I am so sad:ヴェニスの商人
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