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男の友情 I know not why I am so sad


「ヴェニスの商人」という劇は、ユダヤ商人による人肉切り取りの話が最大のテーマだという観を呈している。そしてその人肉を担保に入れるヴェニスの商人アントニオこそが、形式上の主人公ということになっている。だがアントニオは主人公というには、いささか精彩に欠けている。

アントニオは劇の冒頭で登場する。シェイクスピアは主人公を劇の冒頭かその直後に登場させることが好きだ。その場合には、これから展開していく劇のプロットやら登場人物の運命やらについて、明示的にか暗示的にか、主人公の口から言わせることが多い。

ところがアントニオの口から出てくるのはため息だけなのだ。彼はいつも気がめいってしょうがないと、自分が憂鬱なふさぎの虫に取り付かれていることを、繰り返しいう。別に誰に訴えかけているというのでもない。またそれが劇の進行に決定的なかかわりがあるというのでもない。実際彼の憂鬱は劇の筋書きには何らの影響をも及ぼさないのだ。

  アントニオ:いったい何故こんなに滅入るのかわからんのだ
   ぼくが憂鬱そうだと 君たちも憂鬱になるだろう
   何がきっかけで どこでそうなったのか
   またその憂鬱の中身がどんなものなのか
   さっぱりわからんのだ
   このわけのわからぬ憂鬱のせいで白痴同然となり
   自分のことさえ見分けがつかぬのだ(第一幕第一場)
  ANTONIO:In sooth, I know not why I am so sad:
   It wearies me; you say it wearies you;
   But how I caught it, found it, or came by it,
   What stuff 'tis made of, whereof it is born,
   I am to learn;
   And such a want-wit sadness makes of me,
   That I have much ado to know myself.

シェイクスピアの時代にはまだうつ病というものは認知されていなかった。人は理由もなしに憂鬱になるものではない。必ずその背後に何らかの原因がある。友人のサラリオはその原因を言い当てようとする。

  サラリオ:じゃあ君は恋をしているんだろう
  アントニオ:とんでもない
  サラリオ:恋じゃないとすれば 
   君は楽しくないから 憂鬱なんだろう
  SALARINO:Why, then you are in love.
  ANTONIO:Fie, fie!
  SALARINO:Not in love neither? Then let us say you are sad,
   Because you are not merry

サラリオの指摘はある意味で的を得たものだ。人が憂鬱になるのはたいていの場合人間関係に根ざしている。なかでも失恋は最も強烈に人を不幸に陥れるものだ。アントニオも恋の病にかかっている可能性が強い。サラリオがそう思うのは決して的外れではない。

だがアントニオは強く否定する。たしかにアントニオには心を寄せる女性はいない。だが彼には心を許す男の友人がいる。バサーニオである。後にアントニオはバサーニオのために、自分の肉体の一部を抵当にして、ユダヤ人の金貸しシャイロックから借金を取り次いでやるが、そんなことを引き受ける気持になるのは、バサーニオとの間に特別な感情が介在していることをうかがわせる証拠だ。

そのバサーニオは、ベルモントに住む女の金持ポーシャに求婚する気である。だがベルモントに行くための旅費もなければ、紳士としての対面を保つための金さえない。そこで彼はシャイロックから金を借りることを思いつくのだが、自分には抵当を入れる能力もない。

そんなときにアントニオは自分自身の命を抵当として提供することで、バサーニオの野心を助けようとする。なぜそんなことをするのか。劇の中では一切触れられていない。

だいたいバサーニオの野心は後ろめたい面さえ持っている。彼がポーシャに求愛するのは、愛からであるよりは、金が目当てなのだ。そんな友人の野心のためにアントニオが自分の命を投げ出すのは、あまりにも馬鹿げたことであるし、非常に不自然でさえある。

アントニオはバサーニオに同性愛を抱いている、こう解釈すればアントニオの不自然な行為には自然な動機が伴っている、こういえるのではないか。

一方アントニオから心を寄せられたかたちのバサーニオは、アントニオの友情につけ込んで求愛の資金を手に入れるが、アントニオに対して深い友情を抱いてはいても、同性愛は感じていない。アントニオの同性愛は片思いなのだ。だからこそアントニオは憂鬱な気分にならざるを得ない。

相手が女ならアントニオは男らしく求愛できるだろう。だが男が男に求愛したとしたら、いったいどんなことになるだろう。それを思うと、アントニオは暗澹たる気分に陥らざるを得ないのだ。せめて相手の苦境を救うために、自分の命を差し出す、こうすることで自分の愛のしるしを示したい。相手がそれをどう受け取るかはわからぬが、愛とは本来一方的な感情なのだ。

これから始まる劇の中で、登場人物が色々な役割を演じていくことになるだろうが、ヴェニスの商人たるアントニオの役どころは、憂鬱に取りこめられた不幸な愛人としての役回りとなるだろう。

  アントニオ:世界は世界 グラシアーノ
   つまり舞台さ みなそれぞれの役を演じなければならぬ
   ぼくの場合は憂鬱なのさ
  ANTONIO:I hold the world but as the world, Gratiano;
   A stage where every man must play a part,
   And mine a sad one.

そんなアントニオに、友人のグラシアーノはもっと陽気になるようにと励ます。グラシアーノにはもとより、同性愛に悩むアントニオの胸中など見えてないのだ。

  アントニオ:それじゃあ もうすこしおしゃべりになるとしよう
  グラシアーノ:そのほうがいい 口をきかないでほめられるのは
   おしゃべり野郎の舌と 売れ残りの娘だけだ
  ANTONIO:Farewell: I'll grow a talker for this gear.
  GRATIANO:Thanks, i' faith, for silence is only commendable
   In a neat's tongue dred and a maid not vendible.

シェイクスピアの劇に限らず、そもそも演劇の世界にあっては、口をきかないものは存在しないも同然なのだから、グラシアーノの言い分には十分な根拠がある。





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