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愛の試練 Happiest of all:ヴェニスの商人


恋物語としての「ヴェニスの商人」のヒロインはポーシャだ。彼女は美しいだけでなく、父親譲りの膨大な財産を持っており、その上頭もよい。その明晰な頭脳を十分に回転させ、ヴェニスの法廷でシャイロックをへこませる。観客はそんな彼女の颯爽とした姿を見て、女性としてよりも、女性のかたちをした英雄、あるいは妖精のような存在として感嘆したことだろう。

彼女をめぐる男たちの求婚のシーンは、法廷のシーンと並んでこの劇のハイライトだ。彼女は父親から財産を相続するに当たり、結婚相手の選択についても条件をつけられていた。父親が用意した金銀銅三つの箱を求婚者に選択させる。その中のひとつには結婚を許可する言葉が書かれており、他の二つにはポーシャとの結婚を許さぬばかりか、一生他の女とも結婚してはならぬという言葉が隠されている。

この条件は求婚者たちにとって過酷なだけでなく、ポーシャにとっても過酷だ。自分の運命を箱にゆだねるわけだから、必ずしも本当に愛している男と結婚できるとは限らないからだ。

シェイクスピアはなぜこんなプロットをもちこんだのか、真意は測りかねるが、ポーシャとバサーニオの結びつきをドラマティックに演出するには効果があったといえる。

ポーシャへの求婚者は三人。モロッコ公、アラゴン公、そしてバサーニオだ。三人ともポーシャの美貌より彼女の財産が目当て、バサーニオも例外ではない。彼はこのまたとないチャンスを物にするために、親友アントニオの人肉を抵当にしてまでシャイロックから金を借り、ポーシャのいるベルモントまでやってきたのだ。

まずモロッコ公が金の箱を選んで失格する。モロッコ公は黒人と設定されている。ポーシャは色の違う男と結婚する羽目になるのを極度に嫌っているが、幸いにもモロッコ公の浅い思慮が、自らには罰を、ポーシャには希望をもたらすのだ。ついでやってきたアラゴン公も銀の箱を選んで脱落する。

バサーニオは銅の箱を選ぶ。金や銀の箱はきらびやかな外観をもっているが、中身がそれと一致するとは限らない、むしろささやかな外観がささやかな幸福と結びついてこそ、そこに調和が生まれると考えて銅の箱を選ぶのだ。

  (歌)浮気心はどこにある
   心の中か 頭の中か
   どうして生まれ 育つのか
   教えて欲しい 答えて欲しい
   浮気心は 目で生まれ
   生まれたその場所で
   死んでいく
   さあ弔いの鐘を鳴らしましょう
   カラン コロン カラン
  (みんなで)カラン コロン カラン
  バサーニオ:多くの場合外観は内実と一致していない
   だから世間は外面の良さにだまされるのだ
   法律においてもそうだ いかがわしい誓言も
   言葉巧みに語られれば
   悪意を包み隠すことが出来る
  SONG.
   Tell me where is fancy bred,
   Or in the heart, or in the head?
   How begot, how nourished?
   Reply, reply.
   It is engender'd in the eyes,
   With gazing fed; and fancy dies
   In the cradle where it lies.
   Let us all ring fancy's knell
   I'll begin it,--Ding, dong, bell.
  ALL
   Ding, dong, bell.
  BASSANIO
   So may the outward shows be least themselves:
   The world is still deceived with ornament.
   In law, what plea so tainted and corrupt,
   But, being seasoned with a gracious voice,
   Obscures the show of evil?

こうしてバサーニオは、ポーシャの父親の意思に基づいて彼女と結婚する権利を獲得する。彼は目的を達するわけだ。それは彼が他の二人の求婚者より思慮が深かったことによる。

だがそれにしても当面達成できた目的の内実とはいったい何なのか。ポーシャの財産なのだ。この点はじゃじゃ馬馴らしのペトルーチオと異ならない。ペトルーチオもカタリーナの財産だけが目的で彼女に結婚を申し込んだ。名うてのじゃじゃ馬といわれる女を女房にするわけだから、結婚が幸せなものになるかどうか保証はない。だがそれは結婚したあとでがんばれば何とかなる。ペトルーチオはこう考えてカタリーナと結婚した。

バサーニオの場合には、ポーシャは財産をもっているだけでなく、その上美しくて気立てもよさそうだ。じゃじゃ馬を女房にするのとはわけが違う。むしろこの場合には、どこの馬の骨ともわからない男と結婚する羽目になったポーシャのほうに不安な要素が大いといえる。

だがポーシャは父親の意思に従って、バサーニオと結婚する意志を固める。

  ポーシャ:とても素敵なことに わたしは
   全霊をあげてあなたの導きに服します
   わたしの主人 わたしの支配者 わたしの王様として
   わたし自身そしてわたしの財産は
   いまあなたのものになります
   わたしはこれまで家や召使たちの主人であり
   自分自身の主人でもありました
   いまや家も 召使たちも わたし自身も
   あなたのものになるのです 同時に
   この指輪を差し上げますから
   決して手放さずに持っていてください
   あなたがこれを手放す時は
   わたしたちの愛が終わりを告げる時です
  PORTIA
   Happiest of all is that her gentle spirit
   Commits itself to yours to be directed,
   As from her lord, her governor, her king.
   Myself and what is mine to you and yours
   Is now converted: but now I was the lord
   Of this fair mansion, master of my servants,
   Queen o'er myself: and even now, but now,
   This house, these servants and this same myself
   Are yours, my lord: I give them with this ring;
   Which when you part from, lose, or give away,
   Let it presage the ruin of your love
   And be my vantage to exclaim on you.

ポーシャのこの言葉はこれまでさまざまな議論を呼んできた。女性を軽く見るシェイクスピアの偏見が現れているとする見方もある。

いづれにしてもポーシャは、熱烈な愛を経てバサーニオと結ばれたわけではない。ひとつは父親の意思、もうひとつは偶然が、そのような状態を作り上げたにすぎない。

したがってポーシャには、バサーニオとの結婚を、内実が伴ったものに作り変えていかねばならない動機がある。彼女がバサーニオに与える指輪は、二人の結びつきを強めていくための小道具なのだ。

やがてポーシャはこの指輪を使って、バサーニオの自分に対する感情を本当の愛に変えていくだろう。





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