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クレシダは悪女か?(As false as Cressid):トロイラスとクレシダ


クレシダという女性は、シェイクスピアの作り出した人間像の中でも非常に複雑な性格をもっている。その複雑さはある意味でハムレットのそれに通じるものがある。シェイクスピアの描いた女性の殆どが類型化され単純な性格を持たされていることを考えると、これは非常に印象的なことといえる。

トロイラスとクレシダの物語は、シェイクスピア以前にも多くの詩人や劇作家が取り上げてきた。そのほとんどの場合、クレシダはトロイラスの愛をもてあそぶ悪女として描かれていた。シェイクスピアもそうした伝統的な解釈に従っているところがあるが、クレシダを単なる悪女にはとどめさせていない。彼女の裏切りには深い反省が込められているのだ。

クレシダは悪女というイメージが強いおかげで成熟した女としてイメージされがちだが、実はまだ17歳かそこらなのだ。そんな年齢なのにかかわらず、彼女は男と女の駆け引きやら、肉の交わりが喜びをもたらすことを知っている。男というものは、手に入れたい女には卑屈にはなるが、いったん手に入れてしまうと、女をぞんざいに扱うようになる、だから女は男に安易に身を任せてはいけない、こんなことも知っているのだ。

  クレシダ:女はちやほやされているあいだが花
   いったん男のものになったらもう大事にはされない
   こんなことも知らない女はほんとの世間知らず
   男というものは手に入らないものを大事にするのよ
  CRESSIDA:Women are angels, wooing:
   Things won are done; joy's soul lies in the doing.
   That she beloved knows nought that knows not this:
   Men prize the thing ungain'd more than it is:
   That she was never yet that ever knew
   Love got so sweet as when desire did sue.
   Therefore this maxim out of love I teach:
   Achievement is command; ungain'd, beseech:(1,2)

そんな彼女に女衒役の道化パンダロスがトロイラスを引き合わせる。そのトロイラスに呼びかけるクレシダの言葉は、部屋の中に客を呼び込む娼婦の言葉のようだ。シェイクスピアは、表面的にはクレシダを悪女のイメージで包まなくては気が済まぬようである。

  クレシダ:お寄りにならないこと?
  トロイラス:願ってもないことだ
  クレシダ:願ってもないですって!それなら話が早いです
  CRESSIDA:Will you walk in, my lord?
  TROILUS:O Cressida, how often have I wished me thus!
  CRESSIDA:Wished, my lord! The gods grant,--O my lord!
  TROILUS:What should they grant? what makes this pretty
   abruption? What too curious dreg espies my sweet
   lady in the fountain of our love?
  CRESSIDA:More dregs than water, if my fears have eyes.(3,2)

だがクレシダはただの悪女ではない。彼女は皮肉屋であるとともに、自分の行為を深く反省する人間でもあるのだ。だからトロイラスと軽口をたたきあっているうちに、自分のことが罪深く思われる瞬間を迎えたりする。

  クレシダ:もう行かせてください
   別の自分を残していきますから
   その自分なら他人の慰み者にもなりましょう
   もう行かなくてはいけません
   あらわたしとしたら いったい何をいってるのでしょう?
  CRESSIDA:Let me go and try:
   I have a kind of self resides with you;
   But an unkind self, that itself will leave,
   To be another's fool. I would be gone:
   Where is my wit? I know not what I speak.(3,2)

シェイクスピアの描いたほかの少女たちは、こんなにも深く反省することはない。彼女は自分の行為が時には人々の指弾の的になりうることも十分に心得ているのだ。

  クレシダ:言わせておけばいいわ 
   クレシダのように不実だって
   不実の心臓に止めをさすように
  CRESSIDA:'Yea,' let them say, to stick the heart of falsehood,
   'As false as Cressid.'(3,2)

クレシダは一度だけトロイラスと肉の交わりを楽しむ。そしてセックスが終わったあと出かけようとするトロイラスに次のように呼びかける。

  クレシダ:お願い 待って
   男の人っていつも急いでるんだから
   ああ 私って馬鹿だわ もっと冷たくしていれば
   あなたはもうすこし待ったかもしれないのに
  CRESSIDA:Prithee, tarry:
   You men will never tarry.
   O foolish Cressid! I might have still held off,
   And then you would have tarried. (4,2)

この言葉をジュリエットのそれと比較すれば、クレシダがいかに自覚的な女性であるかがわかる。

クレシダは自分の意思に反してギリシャに売られていく。売られるのであるから、自分が娼婦として振舞わねばならぬことを十分に理解している。それ故デォオメデスからの誘惑にも逆らうことなく答える。

ここでクレシダとトロイラスの間で象徴的な場面が挟まれている意味について考えなければならない。ギリシャに向けて出発する前に、クレシダはトロイラスに手袋をわたし、その代わりにトロイラスから袖を受け取る。二人の変わらぬ愛のあかしとしてだ。だがその証としてのトロイラスの袖を、デォオメデスはくれというだろう、彼女もそれを拒まずに与えるだろう。

実はその申し出を拒絶するというシナリオもあったはずだ。それなのにクレシダは愛のあかしであるはずの袖をほかの男に与えてしまう。そうしたのには理由があるのだ。そうすることで前の男への未練を断ち切らなければ、彼女は新しい男に身を任すわけにはいかなかっただろう。

彼女がディオメデスと濡れ場を演じるところを、トロイラスが覗き見てしまう。トロイラスは絶望の余りこう叫ぶ。

  トロイラス:あれは俺のクレシダじゃない 
   あれはディオメデスのクレシダだ 
  TROILUS:This she? no, this is Diomed's Cressida:
   If beauty have a soul, this is not she;
   If souls guide vows, if vows be sanctimonies,
   If sanctimony be the gods' delight,
   If there be rule in unity itself,
   This is not she.(5,2)

怒り悲しむトロイラスを慰めるのは、ギリシャ方の老人ユリシーズだ。気がおかしくなった男が充満するこの舞台の中で、いつも冷静な目で物事の成り行きを見ているのは、ユリシーズのほかはごく一部しかいない。





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