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恋愛ゲーム Too much of a good thing:シェイクスピアの喜劇「お気に召すまま」


「お気に召すまま」の主な舞台となるアーデンの森に、この劇の主人公ロザリンドとオーランドは別々にやってくる。ロザリンドは男装して、従姉妹のシーリアとともに父親の老公爵と会いに、オーランドは迫害を逃れるために、兄の従者だったアダムを連れて。

二人は再会する前から、互いに互いを愛するようになっていた。その愛が実を結び、ほかのいくつかのカップルとともにめでたく結婚に到達するというのが、この劇の喜劇としての眼目だ。

この二人の主人公のうち、最初に愛の感情を爆発させるのはオーランドのほうだ。彼はアダムとともにアーデンの森に迷い込んだ後、空腹を訴えるアダムのために老公爵の催した宴会に押し入り食べ物を奪おうとする。それをきっかけに森の中に迎え入れられるや、ロザリンドに対する思慕の感情を下手な詩にして、それを書き付けた紙片を森中いたるところに撒き散らすのだ。

その紙片に接したロザリンドは、自分のほうでもオーランドが恋しくてたまらない気持ちを抑えながら、それをすぐにあらわすことをせずに、オーランドとの間で一風変わった恋愛ゲームを楽しもうとする。

ロザリンドは男装してガニメードと名乗っている。それは長い旅の途中で盗賊の目を欺くためだった。彼女は自分が男であると偽り続け、その資格で森の中のさまざまな人と接する。羊飼いのコリンと出会ったときには、コリンの主人が牧場を売りに出していると聞いて、それを買い取り、みずから牧場の主人に納まる。

一方ガニメードに扮したロザリンドと出会ったオーランドは、ガニメードに対してロザリンドへの思いを告白する。そんなオーランドをロザリンドがいとしく思わないはずがない。

そんなオーランドに対して、ロザリンドは女の口説き方を教える。ガニメードとしての自分がロザリンドになってあなたのプロポーズの言葉を吟味してあげるから、せいいっぱい口説いてみろとそそのかすのだ。無論それはロザリンドとしての自分に対するオーランドの気持ちを確かめ、あるいは楽しむためである。

この二人の珍妙な恋の言葉の掛け合いこそ、この劇の真の見所、いや聞き所というべきものなのだ。

  ロザリンド:ロザリンドのつもりであなたに言うわ 結婚しないって
  オーランド:じゃ私自身としていおう それなら死んでしまうと
  ロザリンド:いいえ死ぬのはあなたの身代わりでしょ
   この世ができて6千年になるけど
   男の誰一人として恋のために自分の命を絶ったものはいないわ
   いろんな男がしょっちゅう死んでいくけど
   恋のために死んだ者のためしはないわ
  ROSALIND:Well in her person I say I will not have you.
  ORLANDO:Then in mine own person I die.
  ROSALIND:No, faith, die by attorney. The poor world is
   almost six thousand years old, and in all this time
   there was not any man died in his own person,
   videlicit, in a love-cause.・・・
   men have died from time to
   time and worms have eaten them, but not for love.(第四幕第一場)

これは男の身勝手さを女の立場から揶揄した場面だ。男の愛などというものは所詮真心のこもったものとはいえぬ。その証拠に、愛のために死んだ女は数限りなくいるが、男が愛のために死んだ例はない、こうロザリンドは言う。

そんなロザリンドに、オーランドは懇願する。わたしと結婚して欲しいと。相手がロザリンドではなく男のガニメードだと思っている彼には、率直に気持ちをぶつけるいい機会なのだ。だがロザリンドは再び謎めいた言葉でオーランドをからかう。

  オーランド:わたしを愛してくれ
  ロザリンド:もちろん愛して差し上げます 毎日でも
  オーランド:受け入れてくれるかい?
  ロザリンド:ええ 20回でも
  オーランド:なんだって?
  ロザリンド:だってあなたの体の具合はいいんでしょう?
  オーランド:そう願いたいけど
  ロザリンド:具合がいいんだったら何度でも受け入れたくなるものだわ(第四幕第一場)
  ORLANDO:Then love me, Rosalind.
  ROSALIND:Yes, faith, will I, Fridays and Saturdays and all.
  ORLANDO:And wilt thou have me?
  ROSALIND:Ay, and twenty such.
  ORLANDO:What sayest thou?
  ROSALIND:Are you not good?
  ORLANDO:I hope so.
  ROSALIND:Why then, can one desire too much of a good thing?

このやりとりは結婚の真実であるセックスについて語っている。会話をリードしているのは無論ロザリンドだ。

Fridays and Saturdays and all とは「毎日でもあなたとセックスしたい」という意味だ。また and twenty such とは「一晩に20回もセックスしたい」という意味だ。

とうのは、love me の love にはセックスするという意味が込められており、have me の have にはペニスを受け入れるという意味が込められており、thing とはそのものずばりペニスをさしていうケースがあるからだ。

男にとってはうれしい申し入れというべきだが、筆者などはそう喜んでもいられない。おそらく次のような弱音を吐くのが関の山だろう。

  Too much, because my thing is not so good.

このようにロザリンドは男であるガニメードの姿を借りて、女としての自分の気持ちをはばかることなく伝えている。女にとってセックスの喜びは生きる喜びそのものなのだ、シェイクスピアはそういっているかのようである。

女には男に腹を立てさせるような部分もある。それをいまのうちからよくわきまえていてほしい、ロザリンドはそうもいう。たとえば夫への口答えだ。どんな貞淑な女だって時には夫に口答えすることもある、それを我慢できないような男は、夫としての資格に欠けるといわねばならない。

  ロザリンド:女を妻にもらえば口ごたえもついてくるもの
   舌を引っこ抜かないかぎりね
   でも自分の悪さを亭主のせいにできない女なんて最低よ
   そんな女に育てられた子どもはみんな阿呆になるに決まってる(第四幕第一場)
  ROSALIND:You shall never take her without her answer,
   unless you take her without her tongue. O, that woman that cannot
   make her fault her husband's occasion, let her
   never nurse her child herself, for she will breed
   it like a fool!

夫に口答えするような女は頭のよい証拠であると考えたほうがよい。口答えもできないような馬鹿な女は、自分の子どもをまともに育てることもできないというわけだ。

そういいつつも、ロザリンドはやはりオーランドに首っ丈なのだ。

  ロザリンド:可愛い可愛いわたしの従妹さん
   わたしの愛の深さをわかってちょうだい
   計りしれないほど深い愛なの
   わたしの愛はポルトガルの海のように底知れないの
  シーリア:というより底なしなんでしょう
   いくら愛を注いでもみな漏れてしまうのだから(第四幕第一場)
  ROSALIND:O coz, coz, coz, my pretty little coz, that thou
   didst know how many fathom deep I am in love! But
   it cannot be sounded: my affection hath an unknown
   bottom, like the bay of Portugal.
  CELIA:Or rather, bottomless, that as fast as you pour
   affection in, it runs out.

ロザリンドの愛は貪欲だとシーリアはいう、オーランドがいくら愛を注いできても、みな次から次へと漏れ出てしまう、これではオーランドもやる瀬がない、もうすこし相手を大事にしてあげなさい、つまり愛をきちんと受け止めてやりなさい、とシーリアはいっているのである。



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