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道化のタッチストーン Touchstone:お気に召すまま


シェイクスピアの喜劇には、道化あるいは道化的人物がつきものだ。初期の作品の中でこの道化性をもっともよく体現していたのはフォールスタッフだった。タッチストーンはフォールスタッフのもっていた道化的性格をもっと純化した人格だといえる。彼は最初からひとびとに道化といわれながら登場する。実際の身分も公爵に召し使われる道化なのだ。

だがタッチストーンはフォールスタッフのようにめちゃくちゃな行為をするわけではない。彼の役割はドタバタ喜劇を演じることではなく、ウィットに富んだ言葉で、この世の秩序を相対化することだ。激情で視野の狭くなった人々に、違う側面からの見方を提示することで、ものの見方には多面性があるということを教えることだ。

  タッチストーン:情けないことだ、賢い人間がしている馬鹿なことを
   道化が賢い言葉でしゃべってはならぬとは
  シーリア:たしかにお前のいうとおりだわ
   道化の知恵が黙らされてからというもの
   賢い人間たちがますます馬鹿なことをするようになったもの(第一幕第二場)
  TOUCHSTONE:The more pity, that fools may not speak wisely what
   wise men do foolishly.
  CELIA:By my troth, thou sayest true; for since the little
   wit that fools have was silenced, the little foolery
   that wise men have makes a great show.
 
シーリアがいう道化の知恵とは、あるがままのものをあるがままに解釈するということだろう。あるがままのものはそのとおりにあるのであって、別に正しいわけでもなく間違っているわけでもない、それが正しいとか間違っていると判断するのは人間の勝手な都合によるものだ。

ところが人間というものは、自分の都合のいいようにものごとを判断するように作られている。その判断の違いから人間同士の間で争いが生まれる。これは実に馬鹿げたことではないか、道化はそう主張するのだ。

そのタッチストーンは、ロザリンドとシーリアの旅に付き合ってアーデンの森にやってくる。アーデンの森の住人は言うに及ばず、ロザリンドたちもオーランドもこの森での自然の暮らしにすっかり満足しているのを見ると、タッチストーンは早速彼らをからかう。

彼らは森の生活を絶対の善だと考えているがそうではなかろう、それは宮廷での生活があまりにもひどかったことの反動がそうさせたのであって、森が森自体として絶対的にすばらしいわけではない。その証拠に不都合なことも多いのだ。たとえば技巧を凝らした楽しみや凝った料理を、ここでは期待すべくもない。

フォールスタッフが好色であったように、タッチストーンも好色だ。彼は早速村娘のオードリーに言い寄る。

  ジェイクス:結婚することにしたのかね、道化君。
  タッチストーン:牛にはクビキが、馬には手綱が、
   鷹には鈴がつきもののように、人間には情欲がつきもの
   なあに 鳩がつつきあうように イチャイチャするだけのこと(第三幕第三場)
  JAQUES:Will you be married, motley?
  TOUCHSTONE:As the ox hath his bow, sir, the horse his curb and
   the falcon her bells, so man hath his desires; and
   as pigeons bill, so wedlock would be nibbling.
   
タッチストーンにとって、なにもかも相対的なこの世界にあって、唯一絶対的なのは口腹の欲望と性欲の衝動だけだ。

タッチストーンは世界の見方における相対性と、動物として生きることにおける欲望の絶対性をよくわきまえているのだ。

  タッチストーン:よくいった そこでことわざを思い出したよ
   ばか者は自分を賢いと思い
   賢者は自分を愚かだと自覚する(第五幕第一場)
  TOUCHSTONE:Why, thou sayest well. I do now remember a saying,
   'The fool doth think he is wise, but the wise man
   knows himself to be a fool.'

馬鹿が自分を賢いと思うのは、自分の狭い視野に閉じ困られているからである。賢者が自分を愚かだと思うのは、自分の限界をわきまえているからである。つまりその分だけ視野が開けているわけである。





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