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お気に召すまま As You Like It



「お気に召すまま」 As You Like It はシェイクスピアの執筆活動の盛期を代表する喜劇である。この作品が上映された1599年に新しいグローブ座が完成した。この陽気な喜劇は完成したばかりの劇場の?落しに相応しい祝祭的な雰囲気に満ちたものだ。シェイクスピアはこの後、彼の喜劇の最高傑作といわれる「十二夜」のほか「ハムレット」をはじめとする四大悲劇を立て続けに書いていく。

「お気に召すまま」はシェイクスピアの一連の喜劇の中でも、独特の雰囲気を持つ作品だ。

シェイクスピアの喜劇作品の大部分には、共通するプロット構成がある。まず主人公たちの愛を妨げる障害が提示される、障害は社会的な制約であることが多いが、強大な力を持った特定の人間に体現されることもある。ヴェニスの商人にでてくるシャイロックなどはその象徴的な例であり、観客には悪の権化として受け取られることもある。

この障害を主人公たちが知恵と機転を働かせながら乗り越え、ついにはめでたく結ばれる。どの喜劇作品もフィナーレは主人公たちの結婚を祝う祝祭の場面だ。この祝祭には主人公たちのほかにいくつかのカップルが加わることがある。祝祭はにぎやかなほどよいというわけだろう。

「お気に召すまま」も喜劇であるからには結婚が最大のテーマだ。しかも念のいったことにフィナーレでは四組のカップルが成立する。この劇は若い男女たちの結婚の祝福を最大限強調するような組立になっているのだ。もしかしたらシェイクスピアは結婚の門出を描くことによって、グローブ座の新しい門出に対する祝儀のような気持を盛り込んだのかもしれない。

反面、この作品には他の作品にみられるようなドラマティックな筋立てが乏しい。劇の最初ではフレデリック公爵の宮殿を中心に、悪意を持った人物が登場して、この劇の主人公であるロザリンドとオーランドーに対して敵意ある行動を示し、ついには彼らを放逐してしまうが、それはとりあえずは、主人公たちの結婚に対する障害としては描かれていない。

他の作品では悪役を演ずる人物たちは、観客の目にも悪逆非道に映り、いづれ正義によって懲らしめられるのも当然だと受けとられるものだが、この劇の悪役たちはなんとも中途半端だ。彼らはロザリンドとオーランドーがアーデンの森に消え去るといったん劇から退場する。そして再登場するときには心を入れ替えた善玉に変身しているのだ。オーランドーを迫害した兄のオリヴァーなどは、シーリアに一目ぼれをし、その挙句にフィナーレを飾る四組のカップルのひとつを担うほどだ。

だからこの喜劇は悪と正義という対立軸をもともと持っていないのだという風にも解釈できる。対立軸は別にある。それは宮廷を中心に展開する人為的な世界と森の中の自然な世界との対立だ。シェイクスピアはこの対立を強調することで、人為的な世界の馬鹿らしさを笑い飛ばす一方、田園を舞台に繰り広げられる自然な生活の魅力を強調したのだといってもよい。

この劇の大部分はアーデンの森を舞台に繰り広げられる。もしかしたらこの劇の本当の主人公はこのアーデンの森なのかもしれない。それは人為的世界に対立するものとしての自然の象徴である。自然の象徴として、森の中の世界は生命がそのままの姿で繰り広げられる世界である。それは必然的に人間の自然性をむき出しにさせる。若い男女の場合、人間性の中でももっとも本質的なものは愛である。森は愛がもっとも純粋に生きられる空間なのだ。

アーデンという名前には色々な解釈がなされている。シェイクスピアが素材として用いたトーマス・ロッジの「ロザリンド物語」では、フランスの北東部に実在するアルデンヌの森が舞台になっているが、シェイクスピアのこの劇はフランスが舞台ではない。そこからアーデン Arden とは、アルカディア Arcadia とエデン Eden を合成したものだという解釈がなされた。つまり究極の理想的田園をイメージしたものだというのだ。

一方シェイクスピアが育ったストラットフォード・オン・エイヴォンの近郊に、アーデンという名称の森が実在したという考証もある。そこからシェイクスピアは、少年時代に遊んだアーデンの森の雰囲気をこの劇の中に盛り込んだのだという解釈が生まれた。

ともあれこの森の中で繰り広げられる出来事にはあまりドラマティックな要素がない。青年に仮装したロザリンドと、女性としてのロザリンドに思いを寄せるオーランドー、この二人のやりとりを中心に、弟によって追放されたもと公爵とその仲間、とりわけジェイクスの毒舌、それにロザリンドたちに同行してきた道化タッチストーンの恋、さらには羊飼いたちのちぐはぐな恋といった具合に、さまざまなレベルでの恋のやりとりが中心である。

恋のやりとりにはドラマティックな展開がかける代わりに、しゃれた言葉の交わしあいが繰り広げられる。論者の中にはこの劇を会話劇とみなすものもいるほど、会話の当意即妙さがこの劇の魅力を形成している。



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