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尺には尺を(Measure for Measure)シェイクスピアの問題劇



「尺には尺を(Measure for Measure)」は、「終わりよければすべてよし(All's well that ends well)」とともに、シェイクスピア最後の喜劇ということにされている。この二つの喜劇は、それ以前に書かれた喜劇とは、だいぶ趣が違う。そんなところから、この二つの作品を問題劇と呼ぶこともある。

シェイクスピアの喜劇とは一言で定義すると、結婚の祝福で終わる劇と云うことだ。その定義からすれば、「終わりよければ」は二組の結婚が成立するところで終わっているから、喜劇といってもおかしくはない。

ところが「尺には尺を」においては、結婚は明示的には成立しない。少なくとも祝福された結婚は出てこない。アンジェロもルーシオもいやいやながら結婚する羽目になるだけだ。そして主人公のイザベラについてはいえば、公爵が彼女への恋愛感情を持つに至るところで終わり、結婚が成立する保証は明示されていない。

結婚が祝福されるどころか、この劇では男女の性愛がある場合には犯罪になることもあるとされているのである。主人公イザベラの兄クローディオは、恋人と婚前性交をしたという罪名で死刑を宣告される。いかに結婚前とは云いながら、愛する男女同士のセックスが死刑に値する犯罪などとは、喜劇の精神とは遠いといわねばならない。

つまりこの劇には喜劇に特有の、あの明るい笑いがないのだ。むしろ主人公たちは自分に課された不幸な運命と戦わざるを得ないという点で、まるで悲劇の主人公といってもいいような役回りを演じさせられる。観客も笑いながらと云うよりは、ハラハラさせられながら劇の進行を追うのである。

だが悲劇と云うには、この劇はあまりにも荒唐無稽な内容だ。荒唐無稽さと喜劇性とは本質的に関連しあう概念ではないのだが、喜劇に荒唐無稽なストーリーはなじみやすいという性質はある。その荒唐無稽さが、おかしみの感情を喚起する範囲において、この劇は笑いの劇になりえている。

この劇は主人公のイザベラの兄クローディオが、恋人のジュリエットと婚前セックスしたことが法に触れる大罪だといって、死刑を宣告されることから始まる。兄の苦境を知ったイザベラが、修道女になるための儀式に出る勤めを中断して、兄の救済のために奔走するのだ。

このメチャクチャともいえる法律が、なぜ制定されたのか。ヴィエンナの統治者である公爵の言い分によれば、この法律は昔からあったものを、実際には適用しないままに今日まで来てしまった。そのために、ヴィエンナの町は風紀が乱れ、市民は統治者を恐れなくなった。そんな事態を憂えた公爵は、是非昔の法律を厳格に適用したいと考えるが、人の好い自分には中々そこまで踏み切れない。そこで自分の権力を腹心のアンジェロに代行させ、自分はしばらく気休めの旅に出ようと決意する。

  公爵:わが国には厳格な規則、峻厳な法律がある
   それは秩序を保つには必要なものだが
   この19年間というもの使われたことがない
   まるでライオンが洞穴で寝たまま
   餌を取りに出かけないのと同じだ
   甘ったるい父親がカバの枝で鞭を作っても
   それを子供の前でみせびらかすだけで
   一向に使わないでいると
   そのうち子供からバカにされるのと同様
   法律も執行されないでいると効力を失うものだ
  DUKE VINCENTIO:We have strict statutes and most biting laws.
   The needful bits and curbs to headstrong weeds,
   Which for this nineteen years we have let slip;
   Even like an o'ergrown lion in a cave,
   That goes not out to prey. Now, as fond fathers,
   Having bound up the threatening twigs of birch,
   Only to stick it in their children's sight
   For terror, not to use, in time the rod
   Becomes more mock'd than fear'd; so our decrees,
   Dead to infliction, to themselves are dead;(1.3)

こうして公爵から権力の執行を委任されたアンジェロは、法律を厳格に適用する。その法律によれば、正当な婚姻関係以外になされる男女のセックスは死刑に値するとあった。

この法律が適用されたことで、ポンペイが営む売春宿は違法な営業だというコトになる。だが婚外といえども男女のセックスを禁止するなどとは、自然の掟に反した行いではないだろうか、そうポンペイは問題提起する。

  エスカラス:その仕事をどう思う、ポンペイ?
   合法的だと思うか?
  ポンペイ:法律が認めてくれれば
  エスカラス:いや法律は認めてはくれん、
   ヴィエンナでは売春宿は違法なのじゃ
  ポンペイ:するってえと、若いもんからあらゆるはけ口を
   とりあげることになりますぜ
  エスカラス:それでよいのじゃ
  ポンペイ:そんなことをしてたら 10年もたたぬうちに
   もっと人口を増やせという布告を発することになるでしょうよ
  ESCALUS:What do you think of the trade, Pompey?
   is it a lawful trade?
  POMPEY:If the law would allow it, sir.
  ESCALUS:But the law will not allow it, Pompey; nor it shall
   not be allowed in Vienna.
  POMPEY:Does your worship mean to geld and splay all the
   youth of the city?
  ESCALUS:No, Pompey.
  POMPEY:If you head and hang all that offend that way but
   for ten year together, you'll be glad to give out a
   commission for more heads: (2.1)

兄を救うべく立ち上がったイザベラは、アンジェロを色仕掛けで説得しようとする。そんなイザベラにアンジェロは惚れてしまう。

イザベラは公爵と偶然知り合いになり、自分の苦境を公爵に相談する。公爵の方は坊主の姿になって、遠目からアンジェロの統治ぶりを観察していたのだったが、アンジェロのやり方があまりにも峻烈なのをみて、行き過ぎだと感じる。

その上、アンジェロが恋人を一方的に捨てた上に、イザベラに片思いをしていることを知って、ひとつアンジェロに罠を仕掛けてやろうと思い立つ。イザベラとデートできると見せかけて、イザベラの代わりに恋人のマリアナとデートさせ、違法なセックスをさせたうえで、その罪を追求しようというのである。

「尺には尺を」と云う言葉は、こうした文脈の中で、公爵によって語られる。

  公爵:クローディオにはアンジェロを 死には死を
   緊急さには緊急さを 猶予には猶予を
   類には類を 尺には尺をだ
   アンジェロ お前の罪は明らかだ
   いくら否認しようとしても無駄だ
   お前にはクローディオと同じ罰を与える
   クローディオが処刑されたところで処刑されるのだ
   さあこいつを処刑台に連れて行け
  DUKE VINCENTIO:'An Angelo for Claudio, death for death!'
   Haste still pays haste, and leisure answers leisure;
   Like doth quit like, and MEASURE still FOR MEASURE.
   Then, Angelo, thy fault's thus manifested;
   Which, though thou wouldst deny, denies thee vantage.
   We do condemn thee to the very block
   Where Claudio stoop'd to death, and with like haste.
   Away with him!(5.1)

アンジェロはクローディオと全く同じ罪を犯したのだから、全く同じ罰、つまり死刑にしなければならぬというわけである。



イザベラの機知:尺には尺を
ベッド・トリック(Bed Trick):尺には尺を




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