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人間の輪郭にすぎない :ジョン王


シェイクスピア劇「ジョン王」の結幕は、やや締りがないとの印象を与える。というのも、主人公のジョン王は戦いの中で勇ましく死ぬわけでもなく、仇敵に追い詰められて壮絶な死をとげるわけでもない。劇の進行とは余りかかわりのない僧侶によって、毒を盛られるのであり、そこに深い理由を感じさせるものがないからだ。

あえていえば、僧侶はジョン王の専制に憤りを感じて毒を持ったのかもしれない。しかしジョン王を殺したのがなぜ政敵ではなく僧侶なのか、劇の進行からはその事情をうかがわせるものは感じられない。それが歴史上の出来事だったという知識がなければ、観客は肩透かしを食わされた気持ちになるだろう。

そういった点で、この劇の終末は Open Ending だといえる。物語自体はまだ終わったわけではないが、ひとつの劇としては、ここで区切りをつけるのだという意味である。

それでもジョン王は、一応は役者らしい死に方をする。なぜ自分が死なねばならぬのか、ジョン王にはそのことに対する意識は成熟していないが、自分がどのように死んでいくのかは、十分すぎるほど意識している。毒がもたらした熱によって体中が焼かれ、からからに干からびたするめのようになり、いまやみずみずしい肉体を持った人間としてではなく、紙に書かれた人間の輪郭にすぎないものとなって、消えていくのだ。

  ジョン王:いよいよわしの魂もくつろげるときが来た
   いまさら窓やドアから外に出ていくことはあるまい
   胸の中は燃え上がって真夏の炎暑のようだ
   はらわたがカラカラになってしまった
   もはやわしは羊皮紙の上にペンで書かれた
   人間の輪郭にすぎない この熱に焼かれて
   干からび上がってしまったのだ
  KING JOHN ; Ay, marry, now my soul hath elbow-room;
   It would not out at windows nor at doors.
   There is so hot a summer in my bosom,
   That all my bowels crumble up to dust:
   I am a scribbled form, drawn with a pen
   Upon a parchment, and against this fire
   Do I shrink up.

ほかの歴史劇では、結末を告げるものは、古い主人公を打ち倒して新しい主人公になった政敵たちである。彼らの言葉が、ひとつの時代の終わりと新しい時代の始まりを告げる。歴史は一回転したのだ、そのことを観客は感じさせられる。

この劇では、そのような新しい主人公は現れない。代わって結末を告げるのは、またしてもファルコンブリッジである。彼は吟遊詩人のような役回りで、劇の終末を観客に告げるのだ。

フランスと戦っているイギリスには、王が毒を盛られて死にそうだという話が伝わり動揺が広がる。あまつさえ退却中のイギリス艦隊が、波に飲まれて全滅する。この不吉な事態を前にイギリスは危機に直面するが、幸いなことにフランス側から講和の申し出があり、イギリスは何とか窮地を脱することができた。

ファルコンブリッジの言葉は、そんなときに発せられる。

  ファルコンブリッジ; イングランドは 自ら自身を傷つけぬ限り
   敵の足元に屈服することは
   かつてなかったし 今後も決してないだろう
   我らの王子たちが戻って来たからには
   世界中の敵が束になってかかってきても
   われわれは負けない イングランドが自らに忠実な限り
   何者もわれわれを虐げることはできぬ
  BASTARD ; This England never did, nor never shall,
   Lie at the proud foot of a conqueror,
   But when it first did help to wound itself.
   Now these her princes are come home again,
   Come the three corners of the world in arms,
   And we shall shock them. Nought shall make us rue,
   If England to itself do rest but true.

ファルコンブリッジが述べているのは、イギリスの未来であり、ジョン王の死ではない。この劇はオープン・エンディングだと先に述べたが、そのことがよく伺われる口上だ。





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