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語り部としてのコーラス For a Muse of fire:シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー五世」


シェイクスピア劇の特徴のひとつに、劇の冒頭において、劇全体の展開を暗示するような言葉を、登場人物に言わせる工夫がある。初期の傑作リチャード三世においては、リチャードが冒頭で述べる言葉の中に、すでに劇の荒筋が込められていた。それはリチャードの意思として述べられる言葉なのだが、その意思が次々と実現されていくというのが、劇の展開そのものになっている。リチャードの言葉は、将来の予言そのものにもなりえているのである。

こうした予言の機能がもっともドラスティックに現れるのはマクベスにおいてである。冒頭に登場する三人の魔女が吐く言葉は、マクベスという人物と彼が主人公となって展開していく劇全体の内容を先取りしているのだ。

これは叙事詩の伝統の中でプロローグに相当するものである。シェイクスピアはこのプロローグを、ヘンリー四世第二部の中で、意識的に導入した。幕が開く前に語り部が現れ、これから始まる劇について、それが展開していくであろう内容をあからさまに説明するのだ。だがヘンリー四世の中での語り部は、リチャード三世のようには、劇の展開を遺漏なく述べるということはなかった。とりあえず直後に起こるであろう出来事について、その背景を事前に説明するというレベルにとどまっていた。

シェイクスピアは、ヘンリー四世に続いて書いたヘンリー五世の中でも、このプロローグを取り入れた。コーラスという形でである。コーラスといえばギリシャ劇にあっては、物語の進行や出来事の背景を説明したり、あるいはまた劇の中で起こったおぞましい事件について、登場人物や観客に代わって感想を述べるというのが主な機能だった。

ギリシャ劇のコーラスは複数の人物が歌うのに対して、シェイクスピアのコーラスは一人の男が演じる。それも歌うのではなく、釈明するといったふうである。シェイクスピアは「ヘンリー五世」の中で、コーラスを五つからなるそれぞれの幕の冒頭に登場させて、劇の進行についての注意点を観客に向かって説明する。

第一幕に先立ってコーラスが述べる口上は次のようなものである。

  輝かしい創造の天空に炎を燃え上がらせる
  詩神ミューズよ なにとぞ与えたまえ
  この舞台には王国を 役者には貴族たちを
  そして壮大なシーンの観客には帝王たちを!
  そうすれば勇猛果敢なハリーが 王にふさわしく
  軍神マルスの姿をとって現れ その足元には
  皮ひもでつながれた犬のように 飢餓と剣と炎が
  控えることでしょう だが皆様 どうかお許しを
  平凡な大根役者たちが このちっぽけな舞台で
  壮大なドラマを演じようとすることを
  この闘鶏場のような狭い空間に フランスの広大な国土を
  再現できるでしょうか あるいはまた
  木でできたこの円形の空間に アジャンクールの大気を振るわせた
  あの兜の数々を納め切れるでしょうか
   O for a Muse of fire, that would ascend
  The brightest heaven of invention,
  A kingdom for a stage, princes to act
  And monarchs to behold the swelling scene!
  Then should the warlike Harry, like himself,
  Assume the port of Mars; and at his heels,
  Leash'd in like hounds, should famine, sword and fire
  Crouch for employment. But pardon, and gentles all,
  The flat unraised spirits that have dared
  On this unworthy scaffold to bring forth
  So great an object: can this cockpit hold
  The vasty fields of France? or may we cram
  Within this wooden O the very casques
  That did affright the air at Agincourt?

ここで述べられているのは、これから始まる劇が、イギリスの歴史を左右したほどの大きな事件であること、それがフランスを舞台に繰り広げられた大規模な戦争であったこと、その大規模な戦争の光景が、観客の目の前で繰り広げられるはずなのに、それが演じられる舞台があまりにも卑小であるが故に、果たして観客がそれを身を持って体験できるかどうか不安であるといったことだ。

劇の進行について、わずかな言及がなされているものの、コーラスが主として述べているのは、劇の内容とそれが演じられる舞台とがつりあっていないかという心配だ。

ヘンリー五世が初演されたのは、1599年のことだとされている。それはテムズ側の岸辺にグローブ座が建てられた年だ。コーラスの言葉にあるとおり、グローブ座は木造の建物で、円形の構造をしていた。2000人以上の観客を収容できたといわれる。

その膨大な観客を前に、壮大な歴史劇が演じられようとしている。演じるのはわずかな数の俳優だ。その俳優たちが何万人という兵士たちが激突する戦いのスペクタクルをかもし出さねばならない。

そこでシェイクスピアはコーラスにいわせるのだ、実物で足りないところは、皆様の想像力で補っていただきたいと。

  わたしどもの足りないところは 皆様の想像力で補ってください
  一人の男をみたら そこには千人の兵士がいるものと思ってください
  Piece out our imperfections with your thoughts;
  Into a thousand parts divide on man,

シェイクスピアはコーラスにこういわせた上で、これから節目節目でコーラスが現れ、観客の想像力を駆り立てるべく努力するだろうという。

  わたくしコーラスめが 物語のご案内役を務めます
  みなさまにはどうか 辛抱強い気持ちで
  わたしどもの芝居をご覧になるよう お願い申し上げます
  Admit me Chorus to this history;
  Who prologue-like your humble patience pray,
  Gently to hear, kindly to judge, our play.

このように、この劇でコーラスが勤める役柄は、劇の展開を観客にわかりやすくさせるための、背景説明のようなものが多い。コーラスの言葉があるおかげで、場面がいきなり飛躍したと思われるようなところでも、観客はそれを無理なく受け入れることができる。

以上のような点で、この劇でコーラスの果たしている役割は、それなりに意味のあるもののように受け取れる。だがコーラスがいなかったからといって、劇の構造がわかりにくくなるわけでもないと思われる。

こんなわけで筆者などは、この劇におけるコーラスの役割は、劇全体にとっては本質的なかかわりを持ちえていないのではないかとも、思ったりもする。

シェイクスピアはこの劇を最後に、二度とコーラスを登場させることはなかった。



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