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王の大儀 King's Cause:シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー五世」 |
フランスに攻め入ったヘンリー五世の軍隊は、数の上では圧倒的に劣勢である上に、戦場は敵の本拠地という不利もあった。この不利を跳ね返すために、王は兵士たちの忠誠とその勇敢さを宛にしないではいられなかった。 こうしてヘンリー五世はアジャンクールの戦いに先立ち、一兵士に身をやつして兵士たちの間を巡回しては、彼らの士気を高めようとする。そのときのヘンリー五世の振舞いは、この劇のハイライトのひとつをなしているが、その持つ意味合いについては、批評家たちの間で論争の種になってきた。 批評家によっては、この場面におけるヘンリー五世の人間的な弱さ、というか彼の人間らしさをあらわしているのだとするものもいる。またヘンリー五世が持ち出す戦争の大儀に焦点を当て、いったいシェイクスピアにとって大儀とは何を意味したのかを問題にするものもいる。 いずれにしてもこの場面で問題になっているのは、戦争の意味とそれを遂行する王自身の大儀というものであろう。王が主張するそうした大儀について、シェイクスピアは例のとおり、アンチテーゼを持ち出す。 ここでヘンリー五世に意義を唱えるのは一兵士たるウィリアムだ。かれはヘンリー五世が主張するこの世の大儀に対立させて、神の大儀を持ちだすことによって、王の論理に異議を唱えるのだ。王の大儀に順ずることでこの世での名誉を得られても、最後の審判にあたってそれが何ほどの意味を持つのかと。 ヘンリー五世:もし死ぬとしたら 王とともに死にたい なぜなら王の大義は正しく その戦いは名誉あるものだからだ ウィリアム:だが その大義が間違っていたら 王自身に埋め合わせをつけてもらいたいものだ 何しろ戦場で吹っ飛ばされた脚という脚 手という手 頭という頭が 最後の審判の日に集まってきて 「おれたちはしかじかのところで死んだ」と喚きたてるだろうよ あるものは口汚く罵り ある者は外科医を求めて叫び あるものは貧乏のまま残してきた女房のことを あるものは返していない借金のことを あるものは孤児になった子供たちのことを 喚きたてるだろうよ だいたい戦場で死ぬなんて ろくな死に方じゃない 血を流すことが戦争ってもんだ 慈悲もへったくれもあるものか だからこいつらの死に方が良くなかったわけは そいつらを戦場に駆り立てた王自身の責任だ そいつらはただ王の命令に従っただけだもんな KING HENRY V:Methinks I could not die any where so contented as in the king's company; his cause being just and his quarrel honourable. WILLIAMS:But if the cause be not good, the king himself hath a heavy reckoning to make, when all those legs and arms and heads, chopped off in battle, shall join together at the latter day and cry all ' We died at such a place;' some swearing, some crying for a surgeon, some upon their wives left poor behind them, some upon the debts they owe, some upon their children rawly left. I am afeard there are few die well that die in a battle; for how can they charitably dispose of any thing, when blood is their argument? Now, if these men do not die well, It will be a black matter for the king that led them to it; whom to disobey were against all proportion of subjection.(W.1) ウィリアムのこの言葉に対して、ヘンリー五世はまともな返答ができない。ヘンリーの頭を占めている戦いの大儀と、人間の普遍的生き方につながる神の大儀とが、彼の頭の中ではかみ合っていないからだ。 そこでヘンリー五世は、ウィリアムとの間で、売った売られたのつまらない喧嘩をする。シェイクピアはそんなヘンリーを、王者としてではなく、ウィリアムと同じレベルの一人の平凡な人間として相対化しているのである。 |
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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2007-2009 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |