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イヤーゴ(Iago):シェイクスピアの悪党像


シェイクスピアが造形した悪党の中でもっとも悪党らしいものを3人選べといわれたら、リチャード3世、マクベスとならんで、イヤーゴ(Iago)をあげることに、誰も異存はないだろう。むしろ、もっとも悪党らしい悪党、シェイクスピア劇に出てくる悪党の中でもチャンピオン級の悪党といってよい。

イヤーゴが悪党の中の悪党である所以は、彼の悪意が人格そのものを構成していることだ。普通の人間にとって悪意とは、何らかの根拠をもつものだが、それが人格全体を支配するほど圧倒的な衝動になることは珍しい。

イヤーゴの場合には、悪意にはほとんどの場合根拠はない。しかもそれは彼の人格を常に支配するほどの強烈な衝動となって現れる。悪意は彼にとっては、世の中を生きるうえでの、ごく自然な動機なのだ。

イヤーゴも人間であるから、面白くないこともあろう、また野心を持たないわけでもなかろう。そのときに悪意が行動の動機を形成する限りでは、彼も人並みの悪党でありうる。その点では、リチャード3性やマクベスが、王権の簒奪という目的のために手段を選ばなかったことと同じ次元の行動をしているといってよい。

だがイヤーゴの悪意は、特別の動機を持たない場合でも、常に彼の行動を導く原理となっている。イヤーゴは何をなすにも、それを悪意からなさないではいられない。こういう意味で、イヤーゴは絶対的な悪党、無制約の悪党なのだ。

「オセロ」という劇は、イヤーゴの悪意が物語を展開させる原動力となっている。その点で、イヤーゴこそがこの劇の真の主人公といってもよい。オセロはイヤーゴの悪意が取り付いた亡霊のようなものだ、またデスデモーナやキャシオなど、オセロを取り巻く脇役たちもみなイヤーゴの悪意の犠牲者だ。

無論作劇上、はじめから終わりまで舞台を悪意の暴走で埋めるわけにはいかない。人間というものは行動の影にその動機となるものを認めないでは安心することができないゆえに、物語を展開させるためには、そこに特定の動機を忍ばせなければならない。

イヤーゴの場合、それはとりあえずはキャシオへの嫉妬と自分を正当に評価しないオセロへの敵愾心という形で示される。

舞台はまず、イヤーゴの独白から始まる。イヤーゴはオセロの旗手として、自分なりに戦功をたてたと思っている。ところがオセロはそれを正当に評価しないで、キャシオのほうを副官に抜擢した。それがイヤーゴには面白くない。だからキャシオには一泡吹かせてやりたいし、オセロはオセロでひどい目にあわせてやりたい。

これは特定の動機に基づく悪意だ。だからそれを見る観客は、イヤーゴの怒りにも理由があると受け取ることができる。

だがイヤーゴは、オセロへの敵愾心を生半可なものでは済ませておかない。彼はその敵愾心を巨大な風船のように膨らませずにはおかない。ただ単に自分を正当に評価しないという理由くらいでは、敵愾心は限定された効果しかもたない、そこでオセロが自分に対して許すべからざる悪行を行ったというような妄想を介在させることで、自分の悪意を巨大化させようとするのだ。

憎しみの理由として一番わかりやすいのは、オセロが自分の女房を横取りしたという妄想だ。イヤーゴはその妄想を自分に対して吹き込む。

  イヤーゴ:俺はあのムーアが憎い
   世間ではあいつが俺のベッドにもぐり込み
   俺の女房と寝たという 
   ほんとかどうかは知らぬが 俺はそんな噂でも
   信じないわけにはいかぬのだ
  IAGO:I hate the Moor:
   And it is thought abroad, that 'twixt my sheets
   He has done my office: I know not if't be true;
   But I, for mere suspicion in that kind,
   Will do as if for surety. (1.3)

事実としては、オセロがイヤーゴの女房に手を出したということはない。でもそんなことはイヤーゴにとってどうでもよいのだ。悪意を爆発させる原動力として、オセロが自分の女房に手を出したことに対する怒りを覚えられればよい。一旦怒りが自分の中で根を下ろせば、それは自分自身のもつ慣性に従って、突き進んでいくだろう。

イヤーゴは、その怒りに火をつけるために、オセロが自分の女房にまたがっている光景を目に浮かべる。畜生オセロの奴め、まんまと俺の女房を寝取ってくれたな。この恨みは晴らさないではおかないぞというわけだ。

  イヤーゴ:あのいけすかんムーア野郎めが
   俺の女房を寝取った それを思うと
   おれは水銀を飲まされたように腸が痛む 
   あいつに復讐せずには収まらぬのだ
   俺もあいつの女房を寝取ってやるのだ
  IAGO:For that I do suspect the lusty Moor
   Hath leap'd into my seat; the thought whereof
   Doth, like a poisonous mineral, gnaw my inwards;
   And nothing can or shall content my soul
   Till I am even'd with him, wife for wife,(2.1)

こうしてイヤーゴは、オセロを沈没させるだけでは気がすまず、オセロの妻のデスデモーナも巻き添えにしてやろうと考える。オセロが自分の女房にまたがったお返しに、自分はオセロの女房を泥の中で這い蹲らせてやるのだ。

ここまでくると、観客はイヤーゴの悪意が途方もないことに気がつかされる。彼の場合には、怒りの感情は限定的なものではなく、怒るという行為そのものが自己目的化したように思える。イヤーゴは悪意に取り付かれた亡霊、悪意の化物ではないのか。

このイヤーゴの悪意が持つ普遍的な性格はどこから来ているのか。イヤーゴはもしかしたら、生きるということは悪意を実現する過程だと思い込んでいるのではないか。イヤーゴは我々普通人の掟が通用する世界には生きていないのだ。

  イヤーゴ:くそったれが!俺はもう28年間も
   世の中を眺めてきたが
   損得の感情ができるようになって以来
   自分を大事にするやつにお目にかかったことがない
   雌鶏一羽のために身を崩すくらいなら
   人間様をやめてヒヒにでもなった方がましだ
  IAGO:O villainous! I have looked upon the world for four
   times seven years; and since I could distinguish
   betwixt a benefit and an injury, I never found man
   that knew how to love himself. Ere I would say, I
   would drown myself for the love of a guinea-hen, I
   would change my humanity with a baboon.(1.3)

イヤーゴにとって、世間の人間と同じように振舞うことは、真に人間的に振舞うことではない。それではヒヒと同じ生き方をしているだけだ。

人間らしく振舞うとは、自分の値打ちを高く見積もるように、また人にも認めさせるように振舞うことだ。甘く見られてそれに甘んじるようでは、そいつはヒヒと変わるところがない。

  キャシオ:名誉、名誉、名誉
   俺は名誉を失ってしまった
   俺は一番大事なものをなくしてしまったんだ
   名誉だ イヤーゴ 名誉だ
  イヤーゴ:いやあ、私はあなたが体に傷を蒙ったかと思いましたよ
   名誉なんかより体の方が敏感ですからな
   名誉なんてただの妄想に過ぎませんよ
  CASSIO:Reputation, reputation, reputation! O, I have lost
   my reputation! I have lost the immortal part of
   myself, and what remains is bestial. My reputation,
   Iago, my reputation!
  IAGO:As I am an honest man, I thought you had received
   some bodily wound; there is more sense in that than
   in reputation. Reputation is an idle and most false
   imposition: oft got without merit, and lost without
   deserving: you have lost no reputation at all,
   unless you repute yourself such a loser. (2.3)

キャシオもまた名誉にこだわることがある。しかしその名誉はイヤーゴの目には、自分の不名誉の裏返しである限り、いまいましいものでしかない。

自分のためには名誉であるものが、他人にとってはそうでない場合もある。そんな名誉はだから、絶対的な価値とはいえない。この世に絶対的なものなどないのだ。

こうしてイヤーゴの悪意は次第に膨張してゆき、ついには舞台の上で破裂するに至るだろう。





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