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馬と引き換えに王国をやるぞ :
シェイクスピアの歴史劇「リチャード三世」


シェイクスピアの王権劇においては、王権の簒奪者が安らかに死ぬことはない。あらたに王権を狙うものがライバルとして登場し、民衆の支持を集めながら彼に敵対し、やがては彼を滅ぼす。そうして新しい簒奪者が王権を手にする。しかしその新しい簒奪者も、やがては別の簒奪者によって王位を追われる。シェイクスピアにとって歴史とは、簒奪者の交代を意味しているのである。

リチャード三世にとっては、リッチモンドが新しいライバルとなる。後にヘンリー七世となって、チューダー王朝の礎を築く人物である。

リッチモンドが登場してから後のリチャード三世には精彩がない。あれほど多数の殺戮を重ねて勝ち取った王権だったが、腹心まで殺しつくして、いまや信頼できる味方もなく、ただただ強敵の脅威におびえるのだ。

シェイクスピアは晩年のリチャード三世を意識的に卑小に描いたのかもしれない。そうすることで、簒奪者の交代を、歴史の巨大な流れの現れだと、観客に印象付けたかったのかもしれない。

リチャード三世が敵の脅威におびえるところは、彼が見る悪夢のなかに集約されている。その悪夢の中で、いままでに自分が殺してきた人物が次々と登場し、リチャードの没落を予言するのである。

夢から醒めたリチャードは強い恐怖感にとらわれる。そしてその恐怖が、どこからやってくるのか自問する。リチャードは、自分の恐れているのが当面の敵であるリッチモンドだとは思わない。むしろ自分自身の影におびえている。自分をこんな境遇に導いてきたのは、自分自身なのだ。

  リチャード三世:臆病な気持がわしを捕らえているのはどうしたことだ
   灯りが青く燃えている もう真夜中だ
   体が震え鳥肌まで立っている
   何を恐れているんだ? 自分自身をか? 他には誰もいない
   リチャードはリチャードを愛しているのだ そうだ わしはわしだ
   暗殺者でもいるのだろうか? いや わし自身が暗殺者ではないのか
   逃げたらいいのか 自分自身から? 自分自身に復讐しかねないから?
   なんてこった 自分が自分に復讐する?
   いや わしは自分自身を愛しているのだ なんのために?
   自分が自分にしてきたことのいっさいにかけて?
   いや いや わしは自分自身を憎んでいる
   自分がしてきたおぞましい行為の報いだ!
   わしは悪党だ いや違う わしは悪党などではない
  KING RICHARD III
   O coward conscience, how dost thou afflict me!
   The lights burn blue. It is now dead midnight.
   Cold fearful drops stand on my trembling flesh.
   What do I fear? myself? there's none else by:
   Richard loves Richard; that is, I am I.
   Is there a murderer here? No. Yes, I am:
   Then fly. What, from myself? Great reason why:
   Lest I revenge. What, myself upon myself?
   Alack. I love myself. Wherefore? for any good
   That I myself have done unto myself?
   O, no! alas, I rather hate myself
   For hateful deeds committed by myself!
   I am a villain: yet I lie. I am not.

一方、リチャードに殺されたものたちの亡霊は、リッチモンドの夢にも現れるが、リッチモンドに対しては、彼の勝利を予言する。

こうしてリチャードとリッチモンドは、ボズワースで対戦する。その際にもリチャードは、良心という言葉を吐きながら、自分と部下を鼓舞するために、奮い立つ。しかしその声はむなしく響くのみだ。

   良心などとは 臆病者の使う言葉だ
   強者を恐れさせるために作り出された言葉だ
   武器がわしの良心 剣が法だ
   さあ進め 潔く戦おう ひといくさあばれまわって
   天国にいけなかったら ともに地獄に落ちよう
   Conscience is but a word that cowards use,
   Devised at first to keep the strong in awe:
   Our strong arms be our conscience, swords our law.
   March on, join bravely, let us to't pell-mell
   If not to heaven, then hand in hand to hell.

リチャードはリッチモンドとの対戦の最中、馬から落ちる。そのときに、かの有名なせりふを吐く。

   馬だ 馬だ 馬と引き換えに王国をやるぞ
   A horse, a horse, my kingdom for a horse

いまやリチャードが王国の主だとは誰も思っていない。彼は王冠を剥ぎ取られたかつての簒奪者に過ぎない。こうして歴史は再びスタート地点へと反転するのだ。



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