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暗殺者たち Murderers :リチャード三世


リチャード三世の最初の殺人シーンは、リチャードの命を受けた二人の暗殺者たちがリチャードの兄クラレンスを襲う場面である。リチャードは自分が王位を狙うに当たって、エドワード王そのもののほか、王位継承権を持つ人々をことごとく殺してしまうのだが、まず次兄のクラレンスを殺すことによって、足がかりを築こうと考える。

ところがシェイクスピアはここで、心憎い演出をしている。暗殺者に人間の良心を語らせているのである。

この劇に登場する人間たちは、リチャードの犠牲になった人々を除けば、どれもみな良心とは縁の無い人々である。ただただ自分の利益のために、非人間的な行為をこともなげに働く。そんな人間たちの中にあって、人殺しを業とする人間が、良心について語る。そこがパラドクシカルだ。

  第一の暗殺者:どうした、恐れているのか?
  第二の暗殺者:殺すことを恐れているわけじゃない、
   御墨付きをもらっているからな。
   呪われて地獄に落ちることが怖いのさ、
   これにはどんなお墨付きも役にたたない。
  First Murderer: What, art thou afraid?
  Second Murderer: Not to kill him, having a warrant for it; but to be
   damned for killing him, from which no warrant can defend us.

第二の暗殺者は、人殺しそのものは怖くないが、その結果死後に審判を受けて地獄に落ちることが怖いといっている。人殺しそのものは権力者の御墨付きをもらっているビジネスだ。ビジネスとしては、自分はそれを淡々と実行することによって、この世に生きる人間としての責任を果たしているにすぎない。

だがその結果受けることになる審判は、ビジネスとは別の次元の、人間の生き方の問題として、自分自身の身に降りかかってくる。ビジネスはビジネス、審判は審判、両者は違った摂理に従って自分に迫ってくる。その場合、審判を左右するのは、自分が良心に従って行為したかどうかという点だ。

良心とは神に対する恐れだ。人間は赤裸のままで神と向き合うとき、自分の生き方が神の期待に沿ったものなのか否か、自分自身に改めて問いかけざるを得ないように作られている。それが神を信ずるものの宿命だ。彼はこの劇でただひとり、神を信じている人間なのである。

  第二の暗殺者:こいつ(良心)とかかわりあうのはごめんだ、
   剣呑きわまりないからな。
   こいつは人を臆病にする。盗みを働くと咎めだてをするし、
   誓いの言葉を吐くと、ちゃちゃを入れ、
   他人の女房を寝取れば、必ずかぎつける。
   恥ずかしがりやですぐに赤くなり、人をがんじがらめにする。
   何事にも邪魔立てをしないではすまない。
   おかげでせっかく拾った財布も返すことになる。
   こいつのためにいつまでも貧乏から抜け出られぬ。
   それゆえ 町という町ではこいつを危険なものとみなし
   自分自身を頼って生きようとするものはみな
   こいつと手を切ろうとするのだ
  Second Murderer: I'll not meddle with it: it is a dangerous thing:
   it makes a man a coward: a man cannot steal, but it accuseth him;
   he cannot swear, but it cheques him;
   he cannot lie with his neighbour's wife, but it detects him:
    'tis a blushing shamefast spirit that mutinies in a man's bosom;
   it fills one full of obstacles:
   it made me once restore a purse of gold that I found;
   it beggars any man that keeps it:
   it is turned out of all towns and cities for a dangerous thing;
   and every man that means to live well endeavours to trust
   to himself and to live without it.

良心に従ったのでは仕事にならない。だから男はそれと手を切るのが肝心だとうそぶく。それでも良心はつきまとって、男の心を惑わす。

男にとって殺人ビジネスは、この世で生きていくうえでの天職だ。それは心の葛藤なしでは遂行されえないこともある。それでも成し遂げねば、現世に生きることをまっとうできない。こうした悩みをシェイクスピアは、いやしい殺人者の心の中で広げてみせる。

その悩みも、眼前のクラレンスを前にして吹き飛ぶ。とりあえずビジネスを遂行しなければならない。標的を前にした殺人者は、相手が王族であろうとなかろうと、自分が付託されたビジネスであってみれば、殺すべき一人の人間として、相手に襲い掛からざるを得ないのだ。

  クラレンス:いったいお前たちは何者だ
  第二の暗殺者:あんたと同じ人間さ
  クラレンス:だがわしのように王の血は流れていまい
  第二の暗殺者:そういうあんたは、俺たちみたいに忠義ではあるまいよ
  クラレンス:声はいかめしいが、顔つきはいやしいぞ
  第二の暗殺者:俺の声は王の声だ、俺の顔は俺自身の顔だ
  CLARENCE: In God's name, what art thou?
  Second Murderer: A man, as you are.
  CLARENCE: But not, as I am, royal.
  Second Murderer: Nor you, as we are, loyal.
  CLARENCE: Thy voice is thunder, but thy looks are humble.
  Second Murderer: My voice is now the king's, my looks mine own.

こうして暗殺者たちは、クラレンスをワイン樽の中で溺れさせ、殺してしまうのである。





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