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この世の真実とは:シェイクスピアの歴史劇
「リチャード三世」


リチャード三世の中でもっとも印象深い場面のひとつに、リチャードがへイスティングの殺害を命ずるところがある。ヤン・コットはこの場面の前後を、シェイクスピア劇でももっとも優れた箇所として、入念に分析している。

ヘイスティングズは、もともとリチャードと対立するランカスター側に同情的であったが、リチャードが周辺のものを次々と殺し、いよいよ王権を簒奪しようとして野望をあらわにしたとき、それにブレーキをかけるような言動をとったために、リチャードに徹底的に憎まれ、殺されざるを得なかった人間である。

しかしリチャードは理由も無くヘイスティングズを殺すわけにはいかなかった。多少とも表向きの大義名分が必要だった。そこでリチャードはあれこれと謀をめぐらし、ヘイスティングズを死に向かって追い詰めていく。

この劇の第三幕は、ヘイスティングズが次第に追い詰められ、ついにはロンドン塔内で開かれた会議の席上、リチャードから死刑を宣告されるまでに至るプロセスを描いている。そこには息がつまるような緊張感が支配している。

ヘイスティングズには味方がいなかったわけではない。またその身に迫まった危険を心配した友人が、逃亡を進めたこともある。だがヘイスティングズは、姑息な手段はとらず、運命を成り行きに任せる。そこには自分は正義に従った行動を取っているのだという確信が働いていた。また正義が神に見放されることはないだろうという、甘い考えも働いてもいた。

しかし、ヘイスティングズは自分の考えの甘さをリチャードによって思い知らされる。この世では、正義が貫かれるわけとも限らないのだ。

リチャードは、配下の者たちの目の前でヘイスティングズに死を宣告することによって、彼らを脅かし、恐怖によって支配しようとする姿勢をいっそう強める。自分の意に従わぬものは、何人といえども天寿を全うすることはできぬ。だから命と栄誉を欲しいものは、自分の意に従えという姿勢だ。

実際、その後に王位を手に入れたリチャードは、ヘイスティングズを裁く場にいた連中の多くを、それが邪魔だと感じたときには、次々と殺してしまうのである。

ヘイスティングズを殺した後、リチャードはそれを正当化するための工作をする。自分が私情で殺したのではなく、法による正統な裁きを受けて処刑されたのだとする見せかけを作るのである。この目的のために、リチャードはロンドン市長を呼び出す。ロンドン市長はいつでも、権力者のいうことを聞く男なのだ。

リチャードは、ヘイスティングズに対する判決文を民衆の前で読み上げるために、それを代書人に清書させる。判決文の内容はヘイスティングズが殺される前に書かれており、そこには当たり前のことではあるが、リチャードに都合がいいように、事実を捻じ曲げて記されていた。

判決文の内容を受け取った代書人は、そのことを良く知っている。だがそれを人前でいうことはない。ただ自分自身と、自分の分身である観客に向かって、つぶやくだけである。以下はそのつぶやきである。

  代書人:さあヘイスティングズ卿への起訴状だ
   清書がきれいに仕上がったぞ
   今日中にセント・ポール寺院で読み上げられる段取り
   それにしてもなんと見事な辻褄あわせだ
   これを仕上げるのに11時間もかかったが
   ケー ツビーが俺のところに届けてきた下書きも
   書くのにそれくらいはかかったろう     
   俺がこれを書き始めたあと五時間もの間 ヘイスティングズは
   訴追も取り調べも受けず ピンピン生きていたわけだ
   まったく結構な世の中さ よほどの馬鹿でも
   この見え透いたでっち上げは見破れる
   だがどんなに度胸があっても知らぬふりをするものさ
   まったく世も末だ なにひとつまともなことはない
   こんな邪悪なことがまかり通るようでは
  SCRIVENER
   Here is the indictment of the good Lord Hastings,
   Which in a set hand fairly is engross'd
   That it may be today read o'er in Paul's.
   And mark how well the sequel hangs together:
   Eleven hours I have spent to write it over,
   For yesternight by Catesby was it sent me;
   The precedent was full as long a-doing,
   And yet within these five hours Hastings liv'd,
   Untainted, unexamin'd, free, at liberty.
   Here's a good world the while! Who is so gross
   That cannot see this palpable device?
   Yet who's so bold but says he sees it not?
   Bad is the world, and all will come to nought,
   When such ill dealing must be seen in thought.

第三幕第六場は、代書人がつぶやくこのシーンだけからなっている。前後から独立して設けられたこのシーンは、リチャードという人物への、また彼を中心に動いていた時代についての、シェイクスピアの本音をもらしているような感がある。

ヤン・コットは、この代書人が、シェイクスピアの後の喜劇で出てくる道化を先取りした人物像だといっている。リチャード三世という劇には、道化らしいものは一人も出てこないが、道化が果たしているような役割なら、この代書人も果たしているというのだ。

道化というのは、虚飾に満ちた宮廷の中で唯一、馬鹿話にかこつけて真実をいえる存在だ。この代書人も、表立って口にすることは無いが、劇の中ではこの世の真実を知っている唯一人の人間として描かれているというのである。



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