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リチャード二世 Richard U


王権の正統性
天の目
ロンドン塔へお連れしろ Convey him to the Tower
時がわしを浪費する Now doth time waste me
毒が必要なものは毒が嫌い They love not poison, that do poison need


リチャード二世は、リチャード三世と同じく、王権の簒奪をテーマにした劇である。しかし両者のスペクトルは正反対だ。リチャード三世は簒奪する側に焦点を当てているのに対して、リチャード二世は簒奪される側に焦点をあてている。この劇は一人の王が挑戦者によって王冠を奪われ、没落していくことの、歴史的必然性を描いた残酷な劇なのである。

残酷さと言う点では、リチャード三世の方が際立っているかもしれない。それは野望に燃えたものが、次々とライバルを殺した挙句、自分の味方であったものまで殺していく、個人の意思の残酷さだ。これに対してリチャード二世の方は、歴史の必然性によって殺されざるを得なかった、運命の残酷さと言える。

実際このリチャード二世という歴史上の王について、シェイクスピアは個人的には反感のようなものは抱いていなかったようだ。「ヘンリー六世」の中では、登場人物をして、リチャード二世を何の罪もなく殺された気の毒な王と言わせているほどである。

事実としては、何の罪もないというのは言いすぎだ。このことはシェイクスピアにもわかっていた。だからリチャード二世にも叔父殺しの嫌疑をかぶせたりしている。彼が甥のボリングブルックに殺されざるを得なかったのには理由があるという、一種の伏線を張っているのである。こうした伏線がないと、リチャード二世は一方的な被害者になってしまい、弱いものが強いものに殺されると言う、劇としては単調な展開に陥ってしまう。

たしかに、リチャード二世が殺されざるを得なかった必然性は彼の弱さに根ざしていたともいえる。その弱さとは国民の人望がないことであり、貴族たちをまとめられないことであり、取り巻きたちのへつらいに左右されることであった。そんな弱さがあったからこそ、王としては不適格なのであり、より強いものに交代せざるを得なかったのだ。

リチャード二世についてのこうした見方は、シェイクスピアが生きていたエリザベス朝の時代には、いわば世論のようなものだった。ひとびとはリチャード二世の弱さをエリザベス女王の弱さに重ね合わせて、国王とはどうあるべきかについて、ひそかに語り合っていたのである。

エリザベス女王も、自分をリチャード二世にたとえることがあった。晩年の女王は権力基盤が弱体化して、国民の多くから煙たがられ、周辺にはつねにクーデターの危険があった。そうした状況におかれていた自分を、エリザベス女王は自虐的にリチャード二世にたとえたのである。

そんなこともあって、シェイクスピアのこの作品は、エリザベス女王の在世中には完全な形で演ぜられることがなかった。出版されたのは、女王の死後数年たってからである。

劇は、弱い王であるリチャードが、甥のボリングブルックによって王位を簒奪される過程を描く。その間、リチャード三世におけるような、劇的な挿話は多くは現れない。国民に見放されたリチャードが、国民の支持を受けたボリングブルックによって退位させられ、ついには殺されるという、比較的単純な筋書きだ。

リチャードは何故、人心を失ったのか、そのことをシェイクスピアは詳しく語らない。ボリングブルックの父親の財産を召し上げたり、人民に重い負担を課して、それでアイルランドに戦争を仕掛けたといったことがほのめかされるだけだ。

一方、簒奪者であるボリングブルック、後のヘンリー四世には、王位についてもおかしくない理由、あるいは王位につくべき正当性があったのか、これについてもシェイクスピアは詳しく語らない。

落ち目になったものには、その理由をくだくだしく反省している余裕はない、また王位を狙うものにも、余計な理由付けなど必要ではない。落ち目になったものは、上り調子のものによって、退けられるだけなのだ、そうシェイクスピアはいっているように聞こえる。

ところで、リチャード二世がヘンリー四世によって王位を簒奪された挙句殺されたのは、1399年のことである。それ以来、イングランドは王権の正当性を巡って長い混乱の時期を迎える。その混乱は、エリザベス女王の祖父ヘンリー七世が収束して、チューダー朝を開くまで続く、これがシェイクスピア時代の人々の歴史認識といえるものだった。





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