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父親の嘆き:ヘンリー四世第一部


シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー四世」は、ヘンリー王子に視点を当てて見れば、皇太子が立派な国王として成長するためにくぐっていく試練の劇であり、その意味では一種の道徳劇としての色彩を持っていると、先に書いた。

これは父親たるヘンリー四世の立場に立てば、息子の成長を見守るための、親としての試練の劇だという解釈も成り立つ。この劇は、その試練に直面したヘンリー四世の嘆きの言葉で始まるのだ。

冒頭に登場したヘンリー四世は、腹心のウェストモアランドから、ノーサンバーランドの息子パーシー(別名ホットスパー)の輝かしい戦功について聞かされる。次々と戦果を収め敵の首を取ってくるパーシーは、武将としても人間としても申し分がない。それに引き比べて自分の息子ハリーは、額に反抗と汚辱の印をつけ、皇太子としての資格にかけているといわざるを得ない。

そんな息子とパーシーを比較すると、自分は悲しい気分に陥り、彼らが生まれて間もないときに、妖精がいたずらをして、取り違えてくれていたらどんなにかよかったろうか、そうすれば今頃は、パーシーが自分の世継ぎとして立派な働きをし、ハリーはノーサンバーランドの息子として、放蕩三昧も大目に見てもらえただろうに、そう国王はこぼすのだ。

  ヘンリー四世;立派な戦利品ではないか?
   すばらしい褒美ではないか? そうであろう?
  ウェストモアランド;仰せのとおり
   王子たるものの誇るにふさわしい獲物です
  ヘンリー四世;そこじゃ わしが悲しく思うのは
   そのうえ妬ましい気持ちにもなる
   ノーサンバーランドがかくもすぐれた息子を持ち
   それが人々の賞賛を集め
   潅木の間にそびえる大木のように
   幸福の女神の寵愛を受けているというのに
   わしの息子たるハリーときては
   額に反抗と汚辱のしるしをつけている
   わしはつくづく思うのだ
   いたずら者の夜の妖精が赤ん坊の枕元に現れ
   着ている産着を取り替えていたなら
   今頃ハリーとパーシーとは逆になっていただろうにと(一幕1場) 
  Henry IV ; And is not this an honourable spoil?
   A gallant prize? ha, cousin, is it not?
  Earl of Westmoreland. In faith,
   It is a conquest for a prince to boast of.
  Henry IV. Yea, there thou makest me sad and makest me sin
   In envy that my Lord Northumberland
   Should be the father to so blest a son,
   A son who is the theme of honour's tongue;
   Amongst a grove, the very straightest plant;
   Who is sweet Fortune's minion and her pride:
   Whilst I, by looking on the praise of him,
   See riot and dishonour stain the brow
   Of my young Harry. O that it could be proved
   That some night-tripping fairy had exchanged
   In cradle-clothes our children where they lay,
   And call'd mine Percy, his Plantagenet!
 
父親のこの嘆きは、無論後になって立派な働きをするようになるハリーの存在感を強調するための伏線である。

ハリーは無頼漢として出発することによって、立派な人間になるときには、その変身がいっそう強調されて現れる。無頼漢であることは、通過儀礼のようなものなのだ。だが父親のヘンリー四世にはまだ、そこのところが見えていない。





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