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フォールスタッフ登場What time of day is it


フォールスタッフはヘンリー王子とともに第一幕第二場で登場する。赤ら顔で巨大な太鼓腹をした、いかにも小悪党の道化といったイメージを振りまいているはずだ。そのフォールスタッフが最初に発する台詞は、王子に向かって時間を聞くことである。

これが普通の劇なら、観客はさほど違和感を覚えずに受け取るだろう。だが時間を尋ねているのは道化なのだ。道化と時間の組み合わせほど、ミスマッチなものはない。なぜなら道化はカーニバル的な祝祭感覚の象徴であり、カーニバルとは時間を無にしてしまうお祭騒ぎだからだ。

そんな観客の感覚を代弁するかのように、ヘンリー王子はフォールスタッフをたしなめる。「いったい昼間の時間がお前と何のかかわりがあるんだ?」

昼間の時間が意味を持つのは、それが労働や生活のリズムを人間に知らせてくれるからだ。人間は時間の区切りに従って、労働をしたり食事を取ったりする。ところがカーニバルの道化にとっては、あらゆるときが遊びの時間だ。だからそこに区切りを設ける必要などない。道化は食いたくなったときに食い、寝たくなったときに寝ればよい。道化にももし時計が必要になる場合があるとしたら、それは腹時計のようなもので十分なのだ。

実際劇の中のフォールスタッフは、時間を気にせずに、やりたい放題のことをし、いいたい放題のことをいうだろう。

そこでフォールスタッフは、自分の犯したミスマッチを認め、自分たちが太陽の規則正しいリズムに従って生きる人間ではなく、夜の世界の住人であることを確認する。夜とは労働から解放される時間だ。人々はその時間を、浮世のしがらみを考慮することなく、くつろいで過ごすことができる。泥棒が財布を盗むのにも適した時間だ。フォールスタッフはここで、自分が盗みを働く悪党であることを、改めて開陳するのである。

  フォールスタッフ;やあ ハル 今昼間の何時だい?
  ヘンリー王子;このろくでなしめ、大酒を食らって
   満腹になったらズボンのボタンを外し
   昼間からベンチでごろ寝してるうちに
   ほんとに知りたいことまで
   忘れちまったようだな
   いったい昼間の時間がお前と何のかかわりがあるんだ?
   一時間がいっぱいの酒 一分間が一櫛の焼き鳥
   時計の音はやり手婆の金切り声
   文字盤は女郎屋の看板
   太陽はギンギラに着飾った女郎というなら別だが
   お前が昼間の時間を知ろうとする
   そんなことに意味はないよ
  フォールスタッフ;まったくだ、痛いところを突きやがる
   俺たちは お月様と七つ星に導かれて財布を盗む輩
   あの"遍歴の騎士"お天道様とは
   縁がない(第一幕第二場)
  Falstaff. Now, Hal, what time of day is it, lad?
  Henry V. Thou art so fat-witted, with drinking of old sack
   and unbuttoning thee after supper
   and sleeping upon benches after noon,
   that thou hast forgotten to demand
   that truly which thou wouldst truly know.
   What a devil hast thou to do with the time of the day?
   Unless hours were cups of sack and minutes capons
   and clocks the tongues of bawds
   and dials the signs of leaping-houses
   and the blessed sun himself a fair hot wench in flame-coloured taffeta,
   I see no reason why thou shouldst be so superfluous
   to demand the time of the day.
  Falstaff. Indeed, you come near me now, Hal;
   for we that take purses go by the moon and the seven stars,
   and not by Phoebus,
   he,'that wandering knight so fair.'

ところで、フォールスタッフは道化であるにかかわらず、通常の演出では杖を持っていない。杖が道化のシンボルだということを思えば、不可解にも感じられるが、シェイクスピアはここで心憎い演出をしている。つまり杖をフォールスタッフの名前そのものの中に仕組んだのだ。

Falstaff には False Staff、つまり偽の杖という意味が隠されている。シェイクスピアははじめこの人物に Oldcastle という名前を付与したが、後に Falstaff に改めた。現実の杖を持たす代わりに、名前そのものを杖にしてしまうことによって、この人物の道化的性格を際立たせようとしたのだろう。





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