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ヘンリー王子の二面的性格:シェイクスピアの歴史劇「ヘンリー四世」第一部


劇の冒頭で、父親からその放埓振りを嘆かれ、またフォールスタッフたち悪党に混じって駄洒落に興じていると思わせていたヘンリー王子だが、実はそれは仮初の姿を演じてるだけなのだ、時が熟せば支配者としての相応しい姿に戻るだろう、そのことをヘンリー王子自身、劇の冒頭近くで宣言している。

  ヘンリー王子;お前たちのことはみなわかっている
   今はお前たちの気まぐれに付き合っているだけだ
   だがそうしながらも俺は太陽のように振舞うのだ
   卑しい雲が覆うにまかせ
   地上から見えなくなったとしても
   いったん自分の姿を取り戻そうと思えば
   人々から驚きの目を以て迎えられる
   いままで自分を覆っていた醜い雲など
   あっという間に吹き散らしてしまうのだ
   毎日が休日だったとしたら
   遊びも働くことと同様退屈になる
   滅多に起こらないことほど待ち望まれ
   まれな出来事ほど貴重がられる
   それ故俺もこのふしだら振りをかなぐり捨て
   思いがけない振る舞いに戻ることによって
   自分が見せかけ以上に偉大であり
   人々の想像を越えた人間であることを立証するのだ
   そして粗末な地金にはめ込まれた宝石のように
   俺の改心はこれまでの非行を背景にして
   そうした背景がない場合よりも
   いっそう輝きをまし 人々の目を引くだろう
   俺が悪事を働くのは方便としてだ
   人が夢にも思わぬときに一挙に償いをしてやる
  Henry V. I know you all, and will awhile uphold
   The unyoked humour of your idleness:
   Yet herein will I imitate the sun,
   Who doth permit the base contagious clouds
   To smother up his beauty from the world,
   That, when he please again to be himself,
   Being wanted, he may be more wonder'd at,
   By breaking through the foul and ugly mists
   Of vapours that did seem to strangle him.
   If all the year were playing holidays,
   To sport would be as tedious as to work;
   But when they seldom come, they wish'd for come,
   And nothing pleaseth but rare accidents.
   So, when this loose behavior I throw off
   And pay the debt I never promised,
   By how much better than my word I am,
   By so much shall I falsify men's hopes;
   And like bright metal on a sullen ground,
   My reformation, glittering o'er my fault,
   Shall show more goodly and attract more eyes
   Than that which hath no foil to set it off.
   I'll so offend, to make offence a skill;
   Redeeming time when men think least I will.

この台詞の中で、フォールスタッフたちは、「卑しい雲」と言及され、自分の今の姿はその雲に覆われている太陽だといっている。しかし太陽がそうしようと思えば雲を振り払って燦然と輝くように、自分もそうしようと思えば、立派な君主となって太陽のように輝くことができる。

この劇全体は、ヘンリー王子とフォールスタッフが演じる祝祭的なシーンが中心になっているが、第二部を含めて最終的なテーマとなるのは、ヘンリー王子がヘンリー五世として、立派な国王に成長することを強調することにある。

この台詞の中で意図されているのは、ヘンリー王子の成長振りが、単調な直線を描くのではなく、ジグザグのプロセスをたどることによって、初めて達成されるということだろう。人間というものは、野菜の生長のように、すくすくと伸びていくものではない、むしろさまざまな挫折や遠回りを重ねることで、確固としたものになっていく。人間には通過儀礼としての、反日常的な逸脱が大きな意味を持つのだ。

シェイクスピアが劇の冒頭近くで、ヘンリー王子にこのような台詞をはかせているのは、以上のようなことを強調したかったからに違いない。



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