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ハムレットのメランコリー Frailty, thy name is woman!:シェイクスピアの悲劇「ハムレット」


ヤン・コットがいうように、ハムレットという劇はたしかに政治的な色彩が強い。エルシノアという王宮を舞台にして、登場人物たちが互いに監視しあい、自分の身の保全に汲々となっている。新たに王となったクローディアスは、自分の王としての正当性を臣下たちに認めさせることに熱心であり、ハムレットは父親である先王を殺した叔父のクローディアスに復讐しようとしてその機会を狙っている。

ハムレットの母親であり先王の妃であったガートルードは、夫殺しに加担したに違いないが、そのすべてを胸にしまいこんで、息子のハムレットに現状の秩序を受け入れるよう哀願する。オフェリアは大人たちの政治的世界に圧倒されて、ついに狂わずにはいられない。

芝居の最後で、ハムレットは念願の復讐を果たすが、それによってデンマークの王位継承権者は死滅する。その間隙をついて、かねてからデンマークを伺っていたノルウェーのフォーティンブラスが、王位継承の権利を主張するのだ。

こんな具合であるから、ハムレットが政治的な演劇だとする見方も大いに成り立つ。だがそれは権力をめぐって、力と力が正面からぶつかり合うようなアクションの劇ではない。心と心が鞘当を演じる心理劇というべきなのだ。

ハムレットというキャラクターが、この心理劇に相応しい性格を持っていることは必然的だといえる。彼は行動においては狂気を装って他の登場人物たちの眼をくらますが、言説においては度重なる内面の表出を通じて観客と秘密を共有するのだ。

登場人物による独白 Soliloquy という手法は、リチャード三世以来シェイクスピアのよく用いたものだが、この劇ではそれが大規模に用いられている。ハムレットは劇の節目節目で観客に向かって独白する。クローディアスもまた観客に向かって自分の胸のうちを独白する。

ハムレットの独白のうち特に長くて重要なのが、四大独白といわれるものだ。それは世界に対する漠然とした不安に始まり、行為をめぐる葛藤を経て、その実行へ向かって自分自身を励ますという具合に、劇の進行につれて内容が明確性を帯びてくるように配列されている。観客はハムレットの独白が進むにつれて、劇がいよいよ結末にむかってうごめき始めるのを感じ取らされるのだ。

ハムレットの最初の長い独白は、クローデイアスの王位継承とガートルードとの結婚を祝う場面で行われる。戴冠の祝祭的な雰囲気に暗いコントラストを投げかける独白だ。

その祝いの席でクローディアスはハムレットを王位継承者に指名し、亡くなった先王のことをいつまでも悔やむのは無益なことだと諭す。ガートルードもまた、人は必ず死ぬようにできているのだから、父親のことは早く忘れなさいという。

だがハムレットはそう簡単には割り切れない。この段階では、彼は父親の真相については何もわかっていない。だがその死因には疑問がある。もっとわからないことには、母親のガートルードが、夫の死後いくらも立たぬうちに、叔父のクローディアスと結婚したことだ。

あんなにも仲睦まじかった夫婦が、こんなにも簡単にえにしを断ち切れるのだろうか。ハムレットはそう自問するのだ。

  ハムレット:ああ この余りにも固い肉体が溶けて
   露の一滴となってしまうがよい
   せめて自殺を禁ずる神の掟さえなければ!
   ああ 神よ 神よ!
   世の中の秩序とは なんと退屈で
   陳腐で月並みで無駄が多くできているのだろう
   そんなものは糞食らえだ
   この世は雑草がはびこる庭と同じだ
   胸のむかつくことばかり それがなんということだ
   たった二月 いや父上が亡くなってまだ二月にもならぬ
   今の王に比べればハイペリオンとサチュロス
   母上をこよなく愛され
   お顔に荒々しい風が吹き付けるのも許そうとはされなかった
   今の王とは天と地ほどの違い!
   母上のほうでも父上に愛着なされ
   仲良くされるごとにいっそう仲良くされていたというのに
   一月もたたぬうちに ああ思い出したくもない
   女というものがかくも弱々しいものだとは!
  HAMLET
   O, that this too too solid flesh would melt
   Thaw and resolve itself into a dew!
   Or that the Everlasting had not fix'd
   His canon 'gainst self-slaughter! O God! God!
   How weary, stale, flat and unprofitable,
   Seem to me all the uses of this world!
   Fie on't! ah fie! 'tis an unweeded garden,
   That grows to seed; things rank and gross in nature
   Possess it merely. That it should come to this!
   But two months dead: nay, not so much, not two:
   So excellent a king; that was, to this,
   Hyperion to a satyr; so loving to my mother
   That he might not beteem the winds of heaven
   Visit her face too roughly. Heaven and earth!
   Must I remember? why, she would hang on him,
   As if increase of appetite had grown
   By what it fed on: and yet, within a month--
   Let me not think on't--Frailty, thy name is woman!--

ここでハムレットの心の中を占めているのは、明確な思考の対象ではなく、世間への漠然とした不満、あるいは不安の感情である。その不安は彼に自殺を考えさせるほどだが、神の掟がそれを許さないと感じる。ハムレットは神の掟の前で自分の生き方に満足できないメランコリーの主として、まずは描かれているわけである。

主人公のメランコリーとしては、「ヴェニスの商人」のアントニオに先例がある。ふたりに共通するのは、世界に対する漠然とした不安、そして倦怠感である。アントニオの場合にはその倦怠のよってくる原因が何であるか、ついに明確になることはなかった。だがハムレットは、その倦怠の原因を探し出そうと努める。そこがふたりの違うところだ。

そしてハムレットは、自分が憂鬱になった原因は、母親による父親への裏切りだと思うに到る。ハムレットは愛する父親と死別したばかりか、やはり愛していた母親からも見捨てられたと感じた。こんな眼にあってまだ世界を受け入れて抱きしめることができるだろうか。こうハムレットは感じざるを得ない。彼のメランコリーはそこからやってくるのだ。



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