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マクベス(Macbeth):シェイクスピアの四大悲劇


マクベス(Macbeth)はシェイクスピアの四大悲劇の中で最も短い。その分シンプルでわかりやすく、しかも迫力がある。テーマは殺人だ。王権の正統性のために行使される殺人だ。

見ようによっては侮辱的なこの作品を、シェイクスピアは即位したばかりのジェームズ王のために書いた。一説によれば王自らシェイクスピアに依頼したともいう。それに応えてシェイクスピアはリチャード三世と同じような王権劇を書いた。

リチャード三世を倒した側の血筋がエリザベス女王のチューダー朝につながるのと同じ意味で、マクベスを倒したバンクォーの子孫がスコットランドのすべての王の祖先となり、その家から現れたジェームズがイングランド王となってスチュアート朝を開いた。だからこの劇は、現王権の正統性を描いたクロニクルなのだ、そうシェイクスピアは主張したかったかもしれない。

リチャード三世に始まる一連の王権劇は、ヤン・コットのいうように、歴史の歯車が巨大なうねりとなって進行しているといった趣を持っていた。次々と登場してくる王たちは皆、自分の意思からというより、歴史の必然によって動かされている。彼らは歴史の必然性が命じるところによって、先王を殺し、また歴史の必然性にしたがって次の王に殺されたのであった。

マクベスもまた、先王ダンカンを殺し、バンクォーの仲間の貴族たちによって殺される。王権劇と同じく、この劇も殺人で始まり、殺人で終わる。だが、王権劇では運命の必然に追い立てられて殺人が行われるのに対して、この劇で殺人を犯すマクベスは、自分の意思にもとづいて殺人を行った。彼の殺人は、自由意思に基づいた、自由な行為としての殺人だ。

ここのところが、この劇とリチャード三世を区別する最も大きなポイントだ。

リチャード三世をはじめとした王権劇の主人公たちは皆、自分の家を背景にしていた。王権の奪取とはどの家から王を出すかという家族間の紛争を背景にしているのだ。だから個々の王は個人的な野心よりも、一族の野心を背景に行動する。

ところがマクベスにはそのような一族はない。彼は一族に王権を担わせるという集合的な意思を体現しているわけではない。彼はただ単に、王になりたいという個人的な意思を実現したいだけなのだ。マクベスには子供はないことになっているから、彼が死ねば他の家の成員が王権を継ぐほかはない。

実際シェイクスピアが依拠したホリンシェッドのクロニクルにおいては、マクベスは王権を簒奪した後、10年間も善政を敷き、国民に惜しまれながら死んだことになっている。

それでは物語にならないとシェイクスピアは感じ、マクベスを暴力によって殺されるように書き直したのだと思われる。

このように、マクベスという劇は、非常に個人的な野望に基づいた、殺人劇なのである。殺人者は裁かれねばならぬ。シェイクスピアの時代にあっては殺人の罪とは自分の命であぎなわねばならなかった。つまり別の殺人が行われるわけである。

このことをマクベスもよく知っているはずなのだ。だから逡巡した挙句にダンカンを殺したものの、いつ他の者に殺されるかも知らぬとの恐怖に駆られ、次々と敵になりそうな人物たちを殺していく。それでも殺しつくすことはできぬ。そのうちマクベスは王であることに不安を感じるようになる。自分のしたことが後ろめたく感じられるのだ。つまりそこに罪の意識を感じるわけなのだ。

シェイクスピアの時代の人間が現代人と同じ感覚で罪の意識を感じたかどうかは、大きな研究課題だ。だがマクベスは間違いなく罪の意識を感じ、それにさいなまれている。彼のいうことは、何から何までうしろめたいボヤキなのだ。しかもマクベスはその後ろめたさをついに乗り越えることができなかった。

マクベスは最後には他の人間に殺される。だがそれは、自分の弱さゆえに自分の命を縮めた、ある意味での自殺行為ともいえるものだったのだ。

この劇はだから、殺人者が殺されるまでの、殺人者の心理的な葛藤を描いたサスペンスと特徴づけることもできよう。

自分を殺人に駆り立てた夫人が死んだとの知らせを受けたとき、マクベスは次のような有名なせりふを吐く。

  マクベス:明日 また明日 そして明日と
   時は一日一日歩みを進め
   やがて最後の瞬間がやってくる
   過ぎ去った日々は愚かな人間に
   死への道を照らすのだ さあ 明かりを消せ!
   人生など影絵に過ぎぬ
   役者どもは舞台の上で動き回るが
   やがて消え去ってしまう
   阿呆のたわごとと同じだ
   響きと怒りに満ちてはいるが
   何の意味もありはしない
  MACBETH:To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
   Creeps in this petty pace from day to day
   To the last syllable of recorded time,
   And all our yesterdays have lighted fools
   The way to dusty death. Out, out, brief candle!
   Life's but a walking shadow, a poor player
   That struts and frets his hour upon the stage
   And then is heard no more: it is a tale
   Told by an idiot, full of sound and fury,
   Signifying nothing.

これは自分の過去を振り返り、それに痛恨を感じている男の云う言葉だ。男は自分の人生に何の意味も見だすこともできなかった。自分の人生などは、そこらへんで行われている影絵の筋と同じようなものだ。ひと時は観衆の感動を買うことができるかもしれぬが、劇が終わってしまえば、後には何も残らない。

マクベスはある意味で我々現代人に似ているのである。現代人は個と集団、内面と外面、現在と歴史、過去と未来の間に引き裂かれている。マクベスもやはりそうなのだ。


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